Los amigos

September 24,2020

昔の人曰く、『年をとると本当の友達がわかってくる』という。

そんなのわかりたくもない、というのが下村晴良の実感だった。

それはつまりこういうことだろうと、彼は思っていた。若い時代には比較的多くの出会いがあるものの、歳月にもまれ、世間にもまれ、個々人の事情にもまれてもなお、互いに連絡を取り合える相手はごく少数である、と。

そんなのはただの一般論にすぎず、余計なお世話だと言い返したくもなるものだった。

日本を出て、スペインの片田舎に出てきて、連絡を取り合える『友達』など一握りである。

走っても走っても走り続けるようなレッスンに追われる日々は充実していたし、同じ学び舎で音楽に燃える学友たちの存在は熱かったが、少し気が抜けると、孤独感が襲ってくる。

まるで世界にひとりきりで、しゃかりきになっているような気がした。

「だからさ、エンリーケには本当に感謝してるんだよ」

『それはさておき、もう少し英語が上達するといいですね』

「英語は難しいよお……スペイン語だけでいっぱいいっぱいなのに、ここで英語まで勉強したら、俺の頭は破裂する。バーンだよ、バーン」

『オウ。それは困ります』

「だろ。だから日本語とスペイン語でおしゃべりしよう」

『しかしそれでは、あなたの英語が上達しません。あなたが私に日本語の課題を出したように、私もあなたに英語の課題を出しました。大丈夫、あなたならできます。私はあなたを、信じています』

「エンリーケ、意外とスパルタだよな」

『とんでもない。私の義理の弟に比べれば、ヘノカッパです』

「……義理の弟さんだったら、どのくらい課題を出すの?」

『そうですね……まずあなたに三分間スピーチをさせます。そのあと講評を行い、それをふまえてもう一度スピーチさせます。そして再び講評を行い』

「おええ。俺が間違ってました。エンリーケさまさま。カレーは甘口が好きです」

『私は、カレーなら、何でも好きですよ。では、頑張ってください』

下村晴良は動画通話画面の前でもじもじとし、えー、えー、と言いよどんだ後、覚悟を決めたように自分の頬を叩いた。

「えー…………前回の課題、『短いスピーチ』、いきます」

どうぞ、と促されると、青年は語り始めた。

自分の夢は、ギタリストになることです。

ギタリストといってもいろいろな種類がありますが、日本でライブができるようなギター弾きになることが目標です。

そしてコンサートに家族や友達を招待したいです。

自分の音楽を聴いて、楽しい気分になってもらえたら嬉しいです。

――と。

そこまで語って、青年は言葉を止めた。

「えー、まだ大分のこり時間がありますが、残りは、これで『スピーチ』します」

言いながら、下村晴良は画面外に手を伸ばし、ギターを取り出した。

そして弦をつま弾き、歌った。

 

誕生日おめでとう

誕生日おめでとう

エンリーケにとって良い年に

なるように祈っています

誕生日おめでとう

 

コンプレアンニョス・フェリス、と歌い終えると、青年はギターを置いて拍手した。

画面の向こうでは、金髪の男が困惑していた。

『……なぜ?』

「なぜって、誕生日だろ。十一月九日」

『私が忘れているだけでしたら申し訳ないのですが、いつあなたにお教えしたでしょう?』

常のように丁寧な、しかし少し早口の英語で問いかけてきた男に、青年はにっこりと微笑み返した。

「伝言ゲームを頼んだんだよ。例のパーティに出た時に、せっかくだからいろいろ聞きたかったのに、結局あんまり時間がなくて話せなかっただろ。せめて誕生日くらい聞き出したい思って」

青年が問いかけたのは本人ではなく、パーティの主催者たる旧友、中田正義だった。中田正義は、ちょっと待ってろと言って、夜明けの富士山のような清廉な美貌をほこる上司におうかがいをたてにゆき、いそいそと情報を持って帰ってきたという。

「勝手に聞いちゃって悪かったよ。でも、サプライズにしたくて」

『………………その人と私の関係をご存知ですか?』

「え? 中田の上司の人と? ……うーん、うーん、お客さん?」

そういえば何故誕生日を知っているのか尋ねておけばよかったと言いながら、下村晴良は頭をたたいた。

エンリーケは微笑みを浮かべ、そうですかとだけ告げると、再び誕生日のお祝いにねんごろな感謝を述べた。東洋人の青年はいやいやと首を横に振った。

「俺はさ……わりと、人間関係構築に関しては、イバラの道を来た自覚があってさ、これからずっとスペインにいるわけでもないだろうし、かといって日本に帰っても、ずっと定住するとも思えないし。『年をとると本当の友達がわかってくる』なんて言ってもさ、単純に友達が減るだけの話だろ」

だから、と下村晴良は笑った。

「エンリーケ、本当にありがとう。感謝してる。俺と友達になってくれてありがとう。エンリーケが楽しそうだと、俺も楽しいよ」

とんと、胸をつかれたような顔をしたエンリーケは、ややあってから照れたようなはにかみ笑いを浮かべ、拍手した。

『……すばらしいスピーチでした』

「あ、今のが? 今のもスピーチって勘定でいいのかな? ラッキー」

『ハルヨシ……アナタハ、時々、軽佻浮薄……』

「ごめん、ごめん。って、エンリーケ、いつそんな難しい言葉をおぼえたんだ?」

『本ヲ読ミマシタ』

そしてエンリーケは、ふたたび英語で話し始めた。

年をとると本当の友達がわかる、という言葉は知らなかった、しかし自分はこの言葉を知っていると。

とうとうとそらんじられた格言が、下村にはよくわからなかった。ただ『友情』『ワイン』『ミルク』という三つの言葉が聞き取れただけだった。

つまりどういう意味? と首をかしげると、エンリーケは年長者の笑みを浮かべ、今度はスペイン語で告げた。

『友情とは、ワイン。新しいものは生のままだが、年月を経て醸成されると、老人を元気づけ、若返らせてくれる――合衆国大統領トマス・ジェファソンの言葉です』

「……友情の醸造かあ」

『友達に、本当もうそも、ないでしょう。ただ、友達は友達なのです。それは、将来の不安とも、ホームシックとも、別物。すべてのものを解決する万能薬では、ない。でも限りなく、それに近いものだと、私は信じています。ハルヨシ、元気をだしてください。私たちは音楽の仲間です。私がついています』

下村は苦笑いした。このエンリーケという年上の男の、時には潔癖なほどまっすぐなところを、末っ子気質の下村は気に入っていた。とりあえずついていきたくなってしまう類の相手だった。

「ありがとう、エンリーケ。俺泣きそうだよ。これからもよろしく」

『コチラコソ、ヨロシクオ願イ、イタシマス』

「へへ」

そうして二人は、語学の勉強を切り上げて、いつものように新曲のうちあわせの話にうつっていった。

そういえばこの前教える羽目になった『ものすごく怒っている時につかえるヤクザ風の脅しの言葉』を、一体何のために知りたがったのか、よもや実際に使ってはいないよなと、下村晴良は尋ねるのを忘れた。

 

Tag: