キヴィタスの話-Fashion

September 24,2021

「知ってるか、こういうのを昔の世界では『ゴミ屋敷』って言ったんだぜ」

「ゴミ屋敷…………いや、この屋敷の構築物は従来の建造物と同じ、リサイクル素材でできたアスファルトとセラミックで」

「あーあーそういうことじゃねーよでももうそれでいいよ」

海にそびえる白亜の塔、キヴィタス自治州。

富裕層しか暮らすことのできないその最上階近くで、一人の人間と、一体のアンドロイドが立ち尽くしていた。

目の前に広がる屋敷は、たまねぎのようにたわんだ屋根を幾つも擁する、おとぎ話の宮殿のような建造物だったが、その周辺。

全てを。

半透明のポリ袋が埋め尽くしていた。

廃棄物である。

中身は全て、布類であった。

服である。

「過去のこの屋敷の持ち主、アンドリューズ・ワイエムは著名なデザイナーだったそうだ。天候管理部門にも物言いが可能な権力者で、この屋敷のまわりには雨を降らせないようにという言いつけも厳守させたという。逝去したのは二年前だが、バックアップされた人格が未だにデザインを続けているそうだよ」

「バックアップされた人格? って何だ」

「生前から、自分のものの考え方や記憶をひとつひとつクラウド空間にデータとして蓄積しておくんだよ。肉体も精神も、オリジナルは滅びてしまったが、コピーはまだ『生きている』ということだ」

キヴィタスでは当たり前になった、人格の保全方法である。

もちろん大金が必要になる行為であるため、そんなことができるのは、富裕層の中でも一握りの上澄みだけではあったが。

アンドロイドのワンは、アンドロイド調律師であるエルの言葉に耳を傾けつつ、少女のように端麗な顔に、皮肉っぽい笑みを浮かべていた。

「へえ、へえ、それはまた、結構なことで」

「ワン、君はあまり興味がなさそうだね」

「別に。ただ『生きる』って言葉の定義を考えてただけだ」

「……難しそうだ」

「与太話さ。気にするな」

さて、とアンドロイドの少年は、ぱんぱんと自分の膝を叩いて見せた。気合をいれる行為である。

「どこから手を付ける? 今回の依頼は『屋敷の片づけ』なんだろう。手分けするか。それとも二人で順繰りに仕分け作業でもするか」

「まずは全貌を確認してからだ」

はあ? という顔をするアンドロイドを尻目に、調律師は荷物の入ったカバンを両手に携え、すたすたと歩き始めた。

目指すはゴミ袋に囲まれた屋敷の入り口である。

「言っていなかったかい? 片付けてほしいのは家の外ではなく、中だそうだよ」

 

 

家の外がポリ袋の楽園ならば、中は差し詰め、人形の墓場だった。

扉を空け、一歩屋敷の中に足を踏み入れると、床から天井に至るまで、無数のアンドロイドの素体が積み上げられていた。髪は生えているが、服は着ていない。全裸のものばかりである。

エルは携帯端末を点灯モードにし、周囲を照らしながら進んだ。屋敷の中は通電しておらず、昼間だというのに、夜のように暗い。

屋敷の部屋という部屋には、腐ることを忘れた死体のような、機能停止したボディが積み上げられていた。

「そのデザイナーが死んだのは何年前だって……?」

「二年前だ。それから屋敷の所有権は宙に浮いている。しかし……」

「二年間放置されてたってことか。何体あるんだよ、これは」

「……百や二百ではないように思われる」

「屋敷全部がこの状態なんじゃないだろうな」

「確認しよう。その後は速やかに、作業スペースを作る」

「了解だ、ボス」

調律師の顔になったエルと、その助手のたたずまいになったワンは、広々とした屋敷の中を歩き回った。事前に転送してもらっていた屋敷の見取り図の通り、一階に十四部屋、二回に十部屋という、ホテルのような規模のビルディングは、そのほとんど全てに動かなくなったアンドロイドの素体が詰め込まれていた。一様に全裸で、線の細い、美しい顔立ちをしている。男女タイプの比率は二:八ほどだった。

からまりあった長い髪に、アンドロイドの少年は顔をしかめた。

「……ひどいことしやがる。自然にこんなことにはならねえぞ。屋敷の持ち主がいなくなった時、これ幸いと誰かがいらないアンドロイドを集めてきて、エネルギーを抜いて、詰められるだけ詰めたんだ。圧縮した羽毛布団をコンテナに詰めるみたいによ」

「私もそう考える。ここにいるアンドロイドたちは、どうやらアンドリューズのブランドのモデルであったもののようだね」

「みんな美男美女ばっかりだし、状態だっていいぞ。どうして再利用に回さなかったんだ。マニアじゃなくても欲しがりそうなやつらばっかりだってのに」

「……恐らく、特注仕様のものばかりだからだろう。ボディパーツはともかく、私は彼らの顔面パーツに見覚えがない。この顔立ちもまた、アンドリューズのブランド品だ。リユースに回せば、ブランドの価値が落ちるという考え方もある」

「…………お前に『人間らしい』考え方のレクチャーを受ける日が来るとは思わなかったよ」

「君のおかげで、私にも少しはわかってきたように思うよ。しかし、これは一日では終わらないな」

「泊まり込みになるかも、とは聞かされてたが」

「二日でも終わらないだろう。ワン、レジデンスから衣類や食料を持ってきてくれ。私は一階のダイニングにベースキャンプを作る」

「……一人で残して大丈夫か? 人形屋敷が怖くないか?」

「『怖い』?」

なぜ? という顔をする博士に、アンドロイドの少年は苦笑した。

「いや、何でもない。ひとっ走り行ってくる」

「任せたよ」

廊下を除けば、屋敷の中でほぼ唯一、『人形』の詰まっていないダイニングホールの中から、アンドロイドの少年は駆け出していった。

相棒の背中を見送ると、中性的な顔立ちの調律師は、カンテラがわりの携帯端末を、大きなテーブルの上に置き、ひとりごちた。

「…………やれるだけやってみよう」

 

 

キヴィタス管理局に所属する、アンドロイド専門の管理修復調律師、略してアンドロイド調律師のエルは、まずベースキャンプの構築からことを始めた。ダイニングを簡単に清掃し、そこに文字通り、白いテントをはり、簡易ラボを設置する。

保存状態のよいアンドロイドを数体運び込み、修復を始めた。

二年間のノーメンテナンスはアンドロイドの素体に甚大な問題をもたらす。アンドロイドの『意識』にあたるものを呼び覚ますためには、ただ再起動するだけでは足りない。損壊した内部部品を修復し、あるいは代替品と取り換えなければならない。

テントの設営から二時間ほど経った頃、あるものは背中を、あるものは胸を開かれたアンドロイドたちが寝転び、マネキン工場のようになった覆いの中に、ワンが駆け戻ってきた。

「帰ったぜ! 服にレトルトパウチに寝袋だ。これで当分はここで寝起きできるだろうよ。食に関しては、キッチンでも使えればいいんだが」

「ありがとうワン。帰ってきて早々申し訳ないのだが、ここに書いてある道具を管理局から預かって、ここへ持ってきてほしい。先ほどハビ主任の許可がとれた。君を向かわせることも承知してもらっている」

「絵にかいたような使い走りだな! いいぜ、西でも東でも行ってやるよ」

「ありがとう。とても助かる」

「気にするな。それより俺の同類たちをちゃんと直せよ。頼りにしてるぜ」

「わかっている」

メモを受け取ったワンは、エルを激励し、再び屋敷を出ていった。

ホヴァークラフトいっぱいの部品を曳いて戻ってきた頃には、既にキヴィタス内の日が暮れていた。

「よう。もう何か食べたか」

「まだだ。それより、ようやく一体目だ」

テントの中では、長く黒い縮れ毛を持つ女性アンドロイドが、再び息を吹きこまれ、再起動するところだった。全裸であった体の上には、薄手の毛布が掛けられている。周辺に寝かされたアンドロイドたちの中でも、一番最初に目覚めた眠り姫のようだった。

半身を起こしたアンドロイドは、けだるげに手の平で顔を覆うと、申し訳なさそうな声で呟いた。

「……う……あ…………ここはどこですか」

「故アンドリュー・ワイエム氏の屋敷だ。彼は二年前に亡くなっている。私は調律師のエルガー・オルトン、こちらは助手のワンだ。君は彼の所有するアンドロイドだったのだね」

「……はい。そうです。ココと呼ばれていました。ああ……彼は、死んだのですね」

「残念だが、その通りだ」

ココと名乗ったアンドロイドは、数秒、複雑そうな顔をした後、はっとしたように自分の周囲を見渡した。テントの白い天幕の中に寝そべる、仲間たちの体。体。体。ああ、とアンドロイドは慟哭した。

「ミッチェル、ケン、ハーパーも……! みんな、こんな風になってしまって」

「彼らは君の知り合いなのか」

「……全ての仲間を知っているわけではありません。コレクションごとに私たちは分けられていいましたから。でも、私は知り合いの多い方だと思います。彼の秋冬コレクションに、三シーズン続けて出場したので」

「コレクション?」

「……アンドリューは服に合わせてアンドロイドを作成したんです。私たちは服の一部です。それぞれにまとっていた服がありました。もちろん、服は売り物でしたので、全て売約されたはずですが」

服は売れる。しかしアンドロイドは売れない。

この屋敷に放置された人形たちは、文字通りただのマネキンだったのだと、エルとワンは悟り、小さく顔を見合わせた。

ココは悲しそうな顔をして、手を伸ばし、仲間の肌にそっと触れた。

「………………アンドリューは約束してくれました。私たちには幸せな『第二の生』があると。あるものは介護施設で、あるものは農業施設で、人間のために働くことができると。私たちはみんなそれを楽しみにしていたんです。新しいご主人さまはどんな人なのか、どんな仕事を教えてもらえるのか、果たして自分はそういう環境にうまく適応できるのか………………でも…………」

そんなものはなかったのですね、と。

ここは悲しげに呟くと、ココは自分の体を抱きしめた。

二年前の記憶の中から、ようやく目覚めたばかりと思しきアンドロイドの肩に、ワンはそっと手を置き、ずり落ちそうになる上掛けを胸まで戻してやった。

「姉さん。とりあえず何か着て、どこか適当なところに座っててくれ。うちの大将は愛想はないが、腕は折り紙付きだ。時間はかかるだろうが、絶対に何とかしてくれる」

「……大将……?」

「エルガー・オルトンさまだよ。アンドロイド管理局、最年少の調律師、いわゆる天才だ。コミュニケーションには多少難があるが、こんなに腕のいいやつはなかなかいないぜ」

「ワン、恥ずかしいよ」

「照れてる暇があるなら手を動かせよ。仕事をしてない天才なんてただのヒトだ」

「わ、わかった」

ぽかんとしているココの前で、エルは再び仕事に戻った。

それからたて続けに、エルはココが『ミッチェル』『ケン』『ハーパー』と呼んだアンドロイドの再起動に成功した。放置されていたものの、風雨にさらされる環境ではなかったこと、もとからハイエンドの機材であったこと、そして製作されてから廃棄されるまでの間に、それほど時間が経っていなかったことから、損傷は軽微だった。ただ打ち捨てられているだけだった。

目を覚ましたアンドロイドたちに、ワンが再び説明を加えようとすると、その場に新たな人影が現れた。

「みんな、目が覚めたなら仕事にとりかかりましょう。ここにはまだたくさんの仲間たちがいます。エルガー博士のお手伝いをするのですよ」

ココだった。

着用する服のなかったココは、ワンが庭から持ってきたポリ袋の中身を漁り、細切れになっているできそこないの服をつくろって、新たなファッションを想像していた。原始人のまとっていたボロのようでもあるが、高級な合皮やポリエステルの素材のパッチワークは、それなりにさまになっている。

目をしばたたかせるエルとワンの前で、ココは楽しそうに微笑んでみせた。

「『第二の人生』です。さしあたり、私とケンは部屋に積み上げられているアンドロイドたちを、一体ずつこの部屋に運び込みます。同時進行でミッチェルとハーパーが屋敷の掃除を。こんな環境でお仕事をしていただくのは、いくらなんでもひどすぎます」

「……君たちには、モデル型としてのロールだけではなく、日常生活型としてのロールも……?」

「アンドリューは私たちが『人間らしく』見えるようにするためには、投資を惜しみませんでした。皆それぞれ個性を持っています。掃除なんて、簡単なことです」

ただそれを発揮する機会がなかっただけで、とココは付け加えた。

エルの前で、ココはおくゆかしくお辞儀をして見せた。

「と、アンドロイドが手前勝手な事を申しました。そうしてもよろしいですか、エルガー博士」

はっとしたように、エルは返事をした。

「……もちろんだ。心強いよ。よろしくお願いする」

エルが告げると、ココは白い歯を見せ、華やかに微笑んだ。

「かしこまりました、ご主人さま」

 

そこからの作業は加速度的に進んでいった。

エルがアンドロイドを修繕するうちに、ココとその仲間たちは、屋敷の中をカオティックに満たしていたアンドロイドたちを整列させ、ボディの状態などから修復の優先順位のトリアージを行い、また、開かないまま故障していたシャッターを修繕し、窓を開け、埃が敷き詰められていた床や天井の大掃除を行った。屋敷を囲んでいたポリ袋の群れの中身は、裁縫のできるアンドロイドの手によって、仲間たちの衣服として生まれ変わってゆく。

その人手が、エルガ修理を進めれば進めるほどに増えてゆく。

翌日にはキッチンが美しく生まれ変わり、その翌日にはバスルームが復旧した。

かつてのファッションデザイナーの屋敷は、みるみるうちにエルの大規模ラボの様相を呈していった。

「エルガー博士、おつかれでは? マッサージをいたしましょうか」

「エルガー博士、作業時間が長すぎます。そろそろ休憩を取ったほうが効率がよくなりますよ。こちらで私たちが歌を歌いますので、よろしければご一緒に」

「歌なんか後でも構わないでしょう。エルガー博士、外のポリ袋の中からまだ着られそうな服が出てきました。こちらをお試しになりませんか。素晴らしい逸品ですよ」

「エルガー博士」

「博士」

一度にたくさんの大人から話しかけられた幼児のように、あわあわしているエルの前にワンが割り込み、ストップ、ストップと両手を上げた。

「兄さん姉さんがた、悪いがこの博士は、頭はいいがいろいろとポンコツなんだ。一度に一つのことしかできない。そしてこいつの今の仕事は、あんたらの仲間を修理することだ。他のタスクをするにはメモリが足りない。そんなわけで、どうしても話をしたい時には俺を通してくれ。優先順位をつけて取り繋ぐ。それでいいな、エル」

「た、たのむよ、ワン」

「だそうだ!」

見目麗しく、痩身の色白で、誰も彼も長身のアンドロイドたちは、子どものようにはいと唱和し、それぞれがココに割り振られた仕事に戻った。

二週間。

総勢四百五十六体。

途中からはアンドロイドたちの助けも借りつつ、エルは調律を完遂した。最後のアンドロイドが目覚めた時には、まるで眠り姫の覚醒をよろこぶ城の人々のように、仲間のアンドロイドたちが揃って歓声を上げた。

「やりとげたな」

「ああ」

そっとワンと拳をうちあわせたエルは、アンドロイドたちに担ぎ出され、肩車をされ、ぴかぴかになった屋敷の中を練り歩かされた。エルガー博士、博士、という声の中で、年若い博士は照れ臭そうに笑っていた。

と。

「なんですか、これは……一体どうしたというんですか…………!」

屋敷の中に、今まで見たことのない影が入り込んでいた。

人間であった。

肩車から降ろされたエルが向かってゆくと、相手はデジタルネームカードを顔の横に提示して見せた。『ネオ・アンドリューズ・カンパニー』の秘書課からやってきた人物である。

屋敷の、そしてアンドロイドたちの、もとの持ち主の会社だった。

初めて会う人間に、エルは居住まいを正した。

「こんにちは。管理局のエルガー・オルトンです。主任研究員ハーミーズ氏の紹介で、こちらの案件を請け負いました。ご依頼の件については、まもなく片付こうとしていますが……」

「冗談じゃありませんよ。私たちはこんなこと依頼していません」

「は?」

背が高く、黒いスーツに身を包んだ男は、エルの後ろに立っているアンドロイドたちを、まるで存在しないもののように扱い、声をはりあげた。

「依頼内容の勘違いがあったのではありませんか。私たちが管理局に依頼したのは『片付け』、つまり廃品回収です。修理しろなどとは一言も頼んでいない」

「し、しかし」

「どうするんですか、このデク人形たちの山を。こいつらはひとりでに資源ゴミの集積場に向かってくれるものではない。だからエネルギーを抜いておいたのに」

「しかしそれは、アンドロイドの適正な利用に関するガイドラインに反します」

「ガイドラインには法的拘束力はないはずです。違いますか。私たちのモノを私たちがどう扱おうが、私たちの勝手です」

しかし、と言い返そうとしたエルの前で、男は携帯端末を取り出し、応答した。急ぎの電話であるらしい。

「もしもし? ……なに、またハイエクのグループが? まったく懲りもせずつまらない工作を。あいつらのやることときたらいつも……」

あの、と話しかけようとしたエルに、男は荒っぽく手をふり、端末に手をかざして声が入らないようにすると、早口にオーダーした。

「全部片づけておいてください。既にお支払いはすませてあります。頼みましたよ。――もしもし。いえこっちの話だよ。何でもない。それで? 今回のあちらの言い分は――」

男はエルたちの姿を見ようともせず、再び屋敷を出ていった。

呆然と立ち尽くすエルの後ろに、そっと寄り添ったワンは、白い手を握りしめた。

「いつものパターンだな、博士」

「………………」

「まあ、何とかしようぜ。これだけの人数がいるんだ。全員の再就職先を探すのは難しいかもしれないが、それでも管理局のコネで何とかなることだってあるだろう」

「……一度誰かの所有物になったアンドロイドを、他者名義に書き換える際には、メモリの消去作業が必要になる。一度にこれだけの数のアンドロイドの処置をするのは……」

「…………金の問題か」

「時間の問題でもある」

「…………」

黙り込んだエルとワンの後ろから、そっと近づいていった。

ココである。

「あのう」

「……ココ。心配しないでくれ。今回の件は私たちの責任だ。何とかしてみせるから」

「ご主人さま」

はっきりとした口調で、ココは言い直した。

四百五十六体のアンドロイドたちは、揃ってエルとワンのことを見ていた。

ワンショルダーのエプロンのようなドレスを着たアンドロイドは、僭越ながら、と前置きしてから言葉を続けた。

「アドバイスをさせてくださいませ」

「アドバイス?」

きょとんとした顔のエルに、はいとココは頷いた。

そして言葉を続けた。

「私たちを買い取ってください」

「…………買い取る?」

「はい。一人残らず、全員まとめて」

「…………私は、その、既に借金があってね……そこそこ貧乏なのだが……」

「借金をなさいませ。決して損はさせません」

「凄まじい金額になる」

「問題ございません」

問題おおありだろ、と食って掛かりそうになったワンを、エルが留めた。

ココの言葉はまだ終わっていなかった。

「私たちは、ひとりではどこにでもいるマネキンですが、全員揃えば、ただの人形ではないのです」

美しいアンドロイドは、どこまでも穏やかな仕草で、静かに一礼して見せた。

 

 

二か月後、エルとワンはレジデンスのダイニングで、ホログラフ投影式のニュースを見つめていた。

『――以上が大型の企業買収の情報でした。のネオ・アンドリュー・グループあらため、ハイエク・グループは、今後のキヴィタスの服飾業界において大きな影響を発揮すると見られ、今回の造反においては、多数のアンドロイドたちが関わっているとの情報も存在します。とはいえ詳細な情報は、いまだわかっていません。さて次のニュースです……』

「大変なことになっちまったな」

「私には、まだよくわからない……」

レジデンスのソファの上で、ポテトチップスを食べているワンの隣で、エルは頭を抱えていた。ダイニングテーブルの上に、タルティーヌショコラの皿を置いたまま、ホログラフの映像を見つめている。

タルティーヌの皿の隣には、預金カードが置かれていた。

キヴィタス・バンクと直結した、エルの全財産が預託されているものである。借金の記録までもが一本化されている、自治州の金融庁に管理されている銀行だった。

昨日までの残高は、目玉の飛び出るようなマイナスの数値を記録していた。

壮大な借金の末である。

それが今では、プラスの数値に反転している。

それも「すこしプラスになった」程度ではなく、巨大な家が買えてしまうような、莫大な金額が入っている。

振込の名義は『ハイエク・グループ』であった。

「だからな、あのココ姉さんの言ってたことは正しかったのさ」

「『ハイエクという名前の人物がまだ存命なら、私たちをまとめて彼に売れ』……?」

「その通り」

「なぜそんなことを……?」

「企業と企業の戦いの話になったからさ」

いいか、とワンは指を一本立てた。

「管理局にアンドロイドの『片付け』を依頼したのは『ネオ・アンドリューズ・カンパニー』。アンドリューズの名前をつけてはいるが、その頭脳は死んだアンドリューズのコピー人格、死人の影みたいなものだ。その点、ネオ・アンドリューズ・カンパニーを乗っ取ろうとしているハイエクは生身の人間、生きていたころのアンドリューズの右腕だったデザイナーだ。昔からアンドリューズに仕えてきた人材は、どっちのグループにつくのかまだ揉めてた」

「それとアンドロイドたちと、どういった関係があるのだろう……」

「ココ姉さんが言ってただろ。『私はアンドリューズのコレクションに、何シーズンも続けて出演しました』って」

「?」

ワンはポテトチップの袋をエルに差し出し、エルはおずおずとつまんで一枚口に運んだ。

パリパリという音が響く中、ワンは天気予報を続けるニュースを消し、言葉を続けた。

「あのな、モデルだってコレクションの一部なんだぜ。ネオ・アンドリューズのやつらには、そういう考えがなかったみたいだが、ハイエクの方はそれに気づいてた。もうアンドリューズはいないんだ。顧客が求めてるのは、死人の影が生み出したものじゃない。できるだけ、過去のアンドリューズが生み出したのと同じ、『それっぽいもの』なんだって」

「だから、全てのモデルをまとめて、買い取った……」

「そういうこった。あいつらに着せて、ランウェイを歩かせる限り、客はこう思うだろうからな。『ああ、アンドリューズの新作だ』って」

「…………そういうものか」

「そういうもんだろ。今回のコレクションの売り上げがその証明だ。ネオ・アンドリューズは惨敗、ハイエクのグループが大勝」

「調べたのか」

「当たり前だろ。うちの天才博士に大金を恵んでくれたグループの行く末だぜ。気にならない方がどうかしてる」

「……私はココたちの行方が気になる。大丈夫だろうか……」

ワンは肩をすくめた。

「何シーズンかはあのままモデルとして働くことになるだろ。その後は『第二の人生』、いや、『第三の人生』ってことになるんだろ。あいつらみんな気のいいアンドロイドたちだったから、どこでもうまくやっていけるんじゃないか」

「……そうであることを祈る」

「それにしても意外だったな。モデル型なんて、みんなもっとツンツンしてるもんだと思ってたぜ。いや、これはただの偏見だけどよ」

エルは黙り込み、もう一枚、ポテトチップをつまんだ。黄金製の薄い花びらをつまむようなうやうやしい手つきに、ワンは少し笑い、エルも微笑み返した。

少し苦い笑いだった。

「正直な話、買い取ってくれと言われた時、私は少し夢を見たよ」

「どんな?」

「あの屋敷をラボラトリーにして、ココたちを助手にして暮らす夢を」

「天まで届きそうな借金を背負ってか」

「だから『夢』だ。現実的な話ではないよ」

微笑みながら、エルはもう一枚、ポテトチップスをつまもうとし、ワンに眼差しで許可を求めた。いっぱい食べろよとワンが笑うと、エルは微笑み、もう一枚、しずしずと指先でつまみ、おごそかに口に運んだ。

ワンはソファに身を投げ、肘置きの上で脚を組んだ。

「それにしてもネオ・アンドリューズも馬鹿だぜ。アンドロイドを始末しようなんて思わないで、自分のところで再利用して使えば、ハイエクに足元をすくわれることもなかっただろうによ」

「おそらく、それは嫌だったのだと思う」

よどみのない声に、ワンは少し驚いた。

エルはポテトチップスの袋をテーブルに置き、膝を見ながら喋っていた。

「アンドリューズのバックアップ人格は、自分のことをアンドリューズ自身だと思っているはずだ。だからこそ彼は、昔の自分と同じことをしたくなかったのだと思う。それで、アンドロイドを『片付ける』ことで、退路を断とうとした」

「……そういうもんか?」

「もし私が、アンドリューズの代用品であり、周囲の人間たちに結果を求められているのだとしたら、そうするかもしれないと思っただけだ」

ワンはしばらく、天才博士であるエルの姿を見つめていた。

エルはいわゆる『人間』ではなく、ファームと呼ばれる施設でつくられた人造人間である。もとから天才的な頭脳を持つようにと調整され、投薬され、かたちづくられた、用途のある生命体である。

人間とも言えない、かといって人間でないとも言えない、故人のバックアップ人格と、似ていないといえないこともない生い立ちだった。

黙り込んでいるワンに、しかしね、とエルは明るく告げた。

「どんな理由があるにせよ、アンドロイドたちを無碍にするのはよくないことだ。それは自分自身の歩んできた道を崩すことに等しい。コレクションを着用したモデルを含めて、彼の作品であったはずなのだから」

「ココもそう言ってたな」

「ああ。ネオ・アンドリューズの結末は、足元をすくわれたというより、自分で足元を崩してしまったようなものだと思う。バックアップ人格にどのような意図があったにせよ、下策であったと思うよ」

「そしてお前には莫大な収入が入ったと」

「…………まあ、今までの借金で、ほぼ帳消しではあるけれど」

「それにしても収入は収入だぜ。めでたいものだよ。高級なポテチも買える」

「このポテチというものの味が、私には今一つよくわからない……」

「じゃあ無理して食べなくていい。俺が食べてやる。むしゃむしゃ食べてやる。心配するな」

「ありがとう」

エルはそっと、ワンにポテトチップスの袋を返した。

そしてテーブルの上の皿に手を伸ばし、チョコレートの乗った小さなタルトを取った。

「私には君のタルティーヌ・ショコラが、他の何よりもおいしい食べ物だ」

そう言って、エルは大切そうにタルトをつまみ、そっと口に運び、笑った。

おいしいよ、と。

ワンはその姿を認めると、低く唸り、ソファの上で寝返りを打った。

背もたれに顔をうずめるようにしてしまった相棒を、エルは怪訝な目で見つめた。

「ワン? 具合が悪いのか」

「わるかねーよ。問題ない」

「ならよかった。しかし、何故……?」

「アンドロイドにはな、時には相手の顔が直視できなくなることがあるんだよ」

「そのようなことはないはずだよ。私が学んできた限りでは……」

「あるんだ!」

「……そうなのか……」

エルは黙り込み、勉強するよ、と呟いた。

部屋の中にはしばらく、気まずい沈黙が漂った。

ややあってから、先に口を開いたのはワンだった。何もせず、ただワンの背中を見守っているエルの姿が、まるで背中越しに見えているように、気づかわしげな声で。

「…………俺もな、お前の顔みながら食べるポテチが、他のどのポテチよりもおいしいぜ」

「私の顔には化学調味料のような効果があるのだろうか?」

「あーもーそれでいいぜ。そうだな。あるんだろうな」

「それは嬉しい。私は味付けが苦手なので、今後調理にいどみ、失敗した場合には、私の顔を見ながら食べてもらえば、問題が解決するかもしれないね」

「そうだな……そういう認識でいいぜ、ったく……」

顔を上げたワンは、ポテトチップスの袋を抱え直し、ソファから立ち上がると、ベッシーと同居者の名前を呼んだ。ぴかぴか輝くボディをもつ、メタリックな仔猫のロボットである。

「ポテト食べるか。おいしいぞ。あのポンコツにくれてやるのは惜しいおいしさだ」

ミャアと鳴いた機械の猫に、ワンはもったいぶるようにして、ポテトチップを差し出した。

その姿を眺めながら、エルは懐から携帯端末を取り出した。

ハイエク・コレクションの動画である。

コレクションのシーンが全て終わり、ランウェイにモデルアンドロイドたちが次々に出てきて、デザイナーのハイエクを囲む場面、全てのアンドロイドたちの顔にはじける笑顔を、エルは静かに見つめ続けていた。