2019年8月21日
宝石商シリーズ第9巻
「宝石商リチャード氏の謎鑑定 邂逅の珊瑚(サーンウー)」が発売されました。
おかげさまで9冊目です。
ここにやってくるまでに、お力添えをくださった(というもおこがましい、ターボエンジンをとりつけてくださった)皆さまに、心から感謝します……! サイン本を置いてくださった書店さん(完売しているそうです)、特設コーナーを作ってくださっている書店さん、本当にありがとうございます。優勝旗みたいな垂れ幕や、鉱物標本みたいな箱にはいった本、心づくしのポップなどなど、画像を拝見するだけでワクワクします!!
雪広うたこ先生の絵は、先生曰く『いつもとはちょっと雰囲気が違う』そうですが、美しいリチャード氏と正義くんの二人の姿はいつもと同じく、でもそこに新たな光が宿っているように見えます。
雪広先生はいつも、できたてほやほたの小説を読み込んで、素晴らしい絵をつくりだしてくださる天才なのですが、今回はこの絵の輝きに泣きました。あんまりきれいで、きれいなものは悲しいとも言いますが、この美しさにはあんまり、悲しさの影はないような気がします。東雲のようなピンクって、こう、なんだか希望を感じる色ですね。
大好きです。本当にありがとうございます。
ちなみに、電話注文時には書店員さん泣かせ(すみません!)だという『珊瑚』のルビ、
サーンウー、
これは主に香港で使われている言語、広東語の『珊瑚』読みです。
普通語とも呼ばれる、北京などで話されている中国語だと
シャンウー になると思うのですが、
今回の宝石商的には
サーンウー です。
読んでくださった方には、わかっていただけるかもしれません。
アニメ化、コミカライズ決定と、信じられないほど嬉しいおしらせにことかかない今日このごろですが、それだけにいつもこのblogで書いている「今回の新刊は……」的な与太話を語る機会がなくなってしまいそうなので、今のうちにここに記しておきます。
以下は、
物語の内容というより、物語の舞台になる
スリランカにかかわる、辻村の体験談的な与太話です。
長いです。
興味を持っていただける方は、時間のある時にでもご覧ください。
オレンジ文庫公式サイトに記述されている程度のネタバレになりますが、今回の新刊は、香港やスリランカが舞台になっています。
香港は、2019年6月ごろからはじまった、市民生活にかかわる法律の撤回を求めるデモが、開始から3か月たった8月の今も、衰えることなく続いています。
スリランカでは、本書の執筆中だった4月21日に、死者数が歴史上に残ってしまう、大規模な爆弾テロが発生しました。それ以降テロは発生していません。
私が今回のお話を書こうと思ったのは、2018年の3月、スリランカに渡航している時のことでした。
スリランカ人の宝石商、通称『師匠』にガイドをお願いし、コロンボやキャンディーなどを巡る予定をたてていたのですが、直前になって、キャンディーで商店の焼き討ち事件がありました。二人が死亡する事件で、宗教に関係した事件であることもあり、師匠はとても心配し「ニュースはみた? 本当に行く?」と連絡をいれてくれたのです。
愕然としたのは、師匠から連絡をもらうまで、テレビなどの『ニュース』でその話を見る機会がなく、英語で検索しなければそのニュースにたどり着くのも困難だったことでした。当時はスリランカに関係した知人がほとんど師匠しかいなかったのも原因だと思いますが、身近にその話をしている人も全くいませんでした。私は異世界にでも行く予定をたてていたの……? と、同じ地球上に存在する国との、あまりの隔絶されっぷりに、自分の足場がグラグラしているような錯覚を覚えました。あれっここ地球だよね? だいじょうぶ? パニクるなって合言葉を唱えるべきかな?(SFの名作『銀河ヒッチハイクガイド』を参照してください。表紙に『パニクるな』と赤字で書いてある本です)
で、どうするの、と、宿や飛行機の都合上、師匠は早急な回答を迫りました。そりゃあそうだ。
少し迷いましたが、「行きます」と答えました。
焼き討ちをうけて、キャンディーにマーシャルローが発令されて以降は、物騒なことは起こっていないという情報はもちろんのことですが、この時期をのがしたら、スリランカが舞台になるお話を書く前に、取材に現地を訪れる機会はまずなくなってしまうだろうし、そもそもそういうことが起こる土地なのであれば、現地にとっては完全な無縁人間である私が、そういう空気感を肌で感じる絶好のチャンスだとも思ったからです。
ついでに「××という事情はありますがスリランカにいってきます」と編集さんに連絡した際、「おっ! それは貴重な取材ができますね!」とワクワクした返事をしてくれたことも、ちょっと嬉しかったです。
師匠は「そう、わかった」というドライさで、淡々と旅の準備を整えてくれました。ありがとう、師匠。チーズケーキが苦手で、ようかんとアイスが好物の師匠。最近「あのtwitterに出てくる『師匠』さんっていうキャラクターは、どこまでフィクションなんですか?」と質問されて、心の中で爆笑してしまったので、本人にもお伝えしたいと思います。師匠、私に教えてくれた経歴や、大統領のこと、どこまでフィクションですか?
閑話休題です。
実際に訪れたスリランカで、私ができた「取材」といえば、一通りの観光名所に連れて行ってもらって、仏教寺院とヒンドゥー寺院とモスクにお参りにいって、アーユルヴェーダを受けながら「××がありましたがどうしてなんでしょうね?」とわざとらしい英語で聞き込みを入れて無言の回答をされるくらいのことで、でもそこで感じた空気のことを思い出すと、行ってよかったなと思います。
地方都市のキャンディーだけではなく、実質的な首都であるコロンボでも、スーパーやら製菓材料のそろっているお店やらを探して歩き回ったりしたのですが、その時一泊だけ、お庭のきれいなホテルに宿泊しました。師匠に「ここは朝ごはんが有名で、外国人の観光客も多いよ」と教えてもらったからです。
朝はお庭でビュッフェが食べられて、わあ果物! わあサンバルにカレー! とあれこれ夢中になっているうちに、焼いてもらったばかりのパンチ(うすーい円椀形のスリランカ・パンケーキ)を飛んできたカラスにかっさらわれました。この、カラス野郎!(メスだったらごめんね) いつの日かお前に勝つ! 一泊だけど! と思ってカラスを睨んでいたら、ホテルの人がスッとテーブルを片付けて、新しいパンチを持ってきてくださいました。半熟の目玉焼きがついていた。味のイメージは、スイーツ系ではなく食事系のクレープ、ただし皮の全体がパリパリしている感じです。焼きたてなのでホカホカです。とてもおいしかった。感謝。
2019年3月の朝、爆弾テロに襲われたホテルです。
従業員の方も犠牲になったそうです。
なぜ?
なぜ?
と思いながら、ニュースの知らせを聞いた時、私は9巻を書いていました。
なぜ、ああいうものを、壊そうと思うのか?
なぜ、もやもやした理念のために、目の前にいて活動していて、おそらくは家族や恋人や子どもや感じのいい同僚やあまりおりあいのよくない近所の人なども存在するであろう現実の人間を、害し、あまつさえ殺そうと思えるのか?
なぜ?
考えてもわからないものを抱えている時、大体私の場合は「とりあえず調べよう」という行動につながるのですが、こればっかりは、調べても調べても、歴史的な背景や言語の違いや、怒ったり悲しんだりしている人々の声が浮き彫りになるばかりで、根本の「なぜ」はわからずじまいでした。おそらくこれも、世の中に無数に存在する、説明されてもわからないことの一つなのだと思います。
だからといって「では仕方ない」とは、とうてい、全く、これっぽっちも思えないのですが。
テロがあった後に、初めて会った時、師匠はだいぶ痩せていましたが、いつもの不敵な笑顔を浮かべて言ってくれました。
「大丈夫。悪いやつらがどれほど力を尽くしても、世界は絶対に悪い方向にはいかないよ」。
私もそう信じたいです。信じるために、ものを書いて読んでもらっている人間として力を尽くしたいです。具体的に言うと、「なんか、世の中にはいろいろあって大変そうだけど、誰かを大事にする気持ちって、そんなに悪いもんじゃないね」という気分になってもらえる小説を、書けたらいいなと心の底から思います。
そんな気持ちで書いた9巻です。
身の回りが落ち着いたら、またあのホテルに泊まりに行って、パンチを焼いてもらいたいです。カラスがやってくるかもしれないけれど、今度は勝ちたいです。カラスというのは厄介で、人のいるところにはやってきて、動物らしい無体を働くものですが、こちらは人間なので、あたりに注意をこらしつつ、パニクらず、優雅な朝食を楽しんでやろうと思います。
今度はもっと、長い期間。
以上、与太話でございました。
(香港に関しても取材旅行中に楽しいことがたくさんありました。そのあたりのことも書きたかったのですが、収拾がつかなくなりそうなのでひとまずここまでとします。あちらについては文字で語るより、写真をupするほうが早いかもしれません。いまひとつ使いこなせずにいるインスタさんと、もっと仲良くなれたらいいのですが! どうやってパソコンから画像をupするんだ、可能なのか……!? そのうち理解できますように……!)