四月二十一日 時間がないのに「時間がある」と錯覚することが、ままある。悪い癖である。この冊子もその『錯覚』の産物で、これを書いている現在は四月二十二日である。五月の文学フリマまでちょうど一か月というタイミングだ。新刊の原稿も完成、印刷所への入稿もじきに終わるだろう。そんな折。 もう一冊イケるんじゃないか? と思ってしまったのである。 馬鹿、よせ、イケると思ってもイケない時もあるじゃないか、考え直せ、ほかいろいろな心の声が聞こえたが、本づくりの面白さを知ってしまった辻村の耳には届かない。そも、思い出してしまったのである。 去年の秋、青木祐子先生(『ヴィクトリアン・ローズテーラー』『これは経費で落ちません!』の大先生である)から「文学フリマはとても面白いのでいいですよ」とお誘いをいただいた際、「じゃあこんな本が出したいな!」と夢見ていた本の中には、読書記録があったはずだ。 私は本が好きだ。本が
落雷による急な停電か何かが原因だったらしい。 初夏の日、私たちが乗っていたスイス山岳鉄道は、山中で急にストップしてしまった。 食堂車まで据え付けてある列車である。もちろんトイレも毛布もある。一日や二日止まったところで、生死にかかわる大問題になる可能性はわりあい少ないだろう。だが世の中の人には、当時の私のような十歳の子どもでもない限り「明日の仕事」「明後日以降のタスク」というものがあり、交通機関が予想外に一時停止などしてしまおうものなら、それらがとんでもなく遅れてしまって大変なことになるのだ。大抵の人は困る。あるいは戸惑う。最後は怒る。 そして子どもは、そういう大人のイライラした空気を、鋭く感じ取る。 叔父に連れられて叔母の山小屋まで――叔母は私が来るのをたいそう楽しみにしてくれていた――行く途中だった私は、暗くなった電車の中でひとり震えていた。叔父は「様子を見てくる」と言って、私たちの四人
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