祭りの日 b

September 24,2022

「桜を見ると、俺、日本人でよかったなあって思うんだよ。順序が逆かもしれないけど」 「左様ですか」 「きっと日本で生まれて、毎年三月か四月に花見をして、なんとなくそれがいい思い出として心に残ってるから、桜を見るたびいい気分になるんだろうな」 「では、今のあなたはいい気分というわけですね」 「うん。まあ桜だけが理由じゃないけど」 ピンク色のちょうちんでかざられた川沿いの街は、山手から少し歩いた、のんびりとした地区にある。毎年さくら祭りという、わりとそのまんまの名称のお祭りがおこなわれていて、ちょうちんのあかりに照らされた夜桜を眺めながら歩けるのだ。こういう催しを見るたび、俺は日本の治安の良好さをひしひしと感じる。時刻は夜の十時になろうとしているが、当たり前のように幼い子ども連れの親もいる。いいところだ。 ピンク色の桜の花が咲いている。 闇の中を流れる舟のように散る。 かすかな甘い匂いが、夜の貴

俺とお前とSNS

September 24,2022

「二藤勝、なぜ君はSNSをしない」 「えっ?」 「そもそも登録すらしていないのか?」 ほらこれ、と、俺の高校時代の友人にして、現仕事仲間でもある鏡谷カイトは、ずいっとスマホを差し出してきた。 スマホアプリおんちを自認する俺でも知っている、大変ポピュラーなSNSの画像がそこにはあった。 注意喚起と書かれている。 【注意喚起!! このアカウントは本物の二藤勝ではありません。本物の二藤勝はSNSアカウントを持っていません。本人情報は事務所のウェブサイトを参照しましょう。なりすましにご注意ください!】 このアカウント、の後ろにずらずらと並べられたIDに、俺は目が泳いだ。いっぱいある。かなりある。 これは全部、俺になりすましている人のアカウントというものらしい。 「へえー……面白いこと考えるんだな」 「『面白いこと』とはご挨拶だな。ファンにとっては死活問題だ。君の本人アカウントだと思ってフォローした

祭りのあと

September 24,2022

「いいこと教えてやろうか。お前、雑用全部押し付けられてるぞ」 「そんなことはないよ、ワン。諸先輩は私のためを思ってこういったことを」 「押し付けられてんだよ。あいつらは今頃ネオンカラーのピンクのビールで乾杯してるぜ。賭けてもいい」 「ピンクのビールは飲んだことがないな……私の知っているビールというのは、どれも静脈血のような青黒い色をしていて」 「喩え方! 人間らしく適切な喩え方をしろ! 普通の人間は飲み物を血液には喩えねーの! OK? グロいだろ」 「オーケー……すまなかった。無粋なことをした……」 「わかりゃいいけどさ。ったく、ガラクタばっかりだぜ」 「まだまだ使えるものも多いよ」 海上都市キヴィタス自治州高層階。 天にも届く高さの機械仕掛けの街の片隅で、ひとりの人間とひとりのアンドロイドが作業にいそしんでいた。どちらも背中に巨大な金属の籠を背負い、筋力を十倍に増強するロボットアームを装

カルチョ・ストーリコ

September 24,2022

「いけ! そこだ! 殴れ! 殴りのめせーっ!」 「ガビー、それはサッカーの応援の言葉じゃないよ……」 「いいんだよ! これはサッカーじゃなくカルチョで、しかも『カルチョ・ストーリコ』だから! いけ! ぶん殴れ!」 「あー……痛そうに、あー、あー……」 常ならば観光客や路上駐車でごったがえす、フィレンツェ歴史地区、サンタクローチェ教会前。 その日だけは、四角く区切られ、土が敷き詰められ、四方を客席で埋められていた。 十メートルかける十メートルほどのスペースの中では、赤と白のユニフォームのチームが、ボールを奪って戦っている。スペースの端と端にゴールとされるゾーンがあり、そこまでボールを運んで行けば点数獲得である。 端的に言えばカルチョ――サッカーの試合だった。 だが、反則は、ほぼ、ない。 ボールを奪うために、敵対チームの相手を殴ってもいい。蹴ってもいい。 もっとも原始的な形と呼ばれるカルチョ、

祭りの日 a

September 24,2022

飾り立てられた象が大通りをゆく。 ペラ・ヘラ。 俺が住むスリランカ、キャンディの名物ともいえる、仏教の祭典である。毎年夏。占星術的に縁起のよい日を選んで催行される、おしゃかさまの歯という、西洋風に言うなら聖遺物をまつるイベントだ。 美し容れ物に入った歯を、きらきらに飾り立てた象の背に載せて、街の中を練り歩く。 一年で一番、この山の街が賑やかになる日だ。 「いつからかなあ。俺、これ毎年観られるものだと思ってたよ」 「そうでしょうか。海外出張も多かったのでは?」 「まあ、それはそうだけど」 家、というかスリランカの社宅のまわりでペラ・ヘラが催行されているんだなあと思うと、その時イタリアにいようがシンガポールにいようが、俺の気持ちが象の歩く街にとんでいったものだった。お隣のヤーパーさんに電話をして、ジローとサブローの様子を尋ねたりすることもよくあったし。いわば魂が分裂しているようなものだ。キャン