俺とお前とSNS

September 24,2022

「二藤勝、なぜ君はSNSをしない」

「えっ?」

「そもそも登録すらしていないのか?」

ほらこれ、と、俺の高校時代の友人にして、現仕事仲間でもある鏡谷カイトは、ずいっとスマホを差し出してきた。

スマホアプリおんちを自認する俺でも知っている、大変ポピュラーなSNSの画像がそこにはあった。

注意喚起と書かれている。

【注意喚起!! このアカウントは本物の二藤勝ではありません。本物の二藤勝はSNSアカウントを持っていません。本人情報は事務所のウェブサイトを参照しましょう。なりすましにご注意ください!】

このアカウント、の後ろにずらずらと並べられたIDに、俺は目が泳いだ。いっぱいある。かなりある。

これは全部、俺になりすましている人のアカウントというものらしい。

「へえー……面白いこと考えるんだな」

「『面白いこと』とはご挨拶だな。ファンにとっては死活問題だ。君の本人アカウントだと思ってフォローした後、ろくでもないダイレクトメールが飛んで来た時の絶望感が君にわかるか」

「ご、ごめん、わからない」

「理解しろ。そしてSNSをしろ」

「はい」

そういうことになった。

 

日曜日の浅草の蕎麦屋。奥のカウンター席。

とりあえず運ばれてきた天盛り蕎麦の画像を撮った後、俺は『二藤勝』という本名でアカウントを取得した。マネージャーの豊田さんの了解はとっている。とりあえずやってみてください何かあったら対処しますという、ほどよい放任主義がありがたい。

「えーと、できた。何か投稿する。『こんにちは。二藤勝です』」

「はっ」

隣のカウンター席に腰掛けたカイトが鼻で笑った。何だ。どういう意味だ。答えを求めて視線を送るが、皮肉屋のカイトは何も言ってくれなかった。

そのかわり、さっそくSNSの中の誰かが返事をくれる。嬉しい。誰だろう。

見知らぬ男の顔のアイコンが、俺に初めてリプライをくれた。

 

『偽物乙』

 

「えっ…………」

「当たり前だ。本人マークもついていないし、アイコンも空白だし、二藤勝の周辺人物とのつながりもない。ぽっと出の偽物としか思えない」

「で、でも、『二藤勝です』って、ちゃんと言ったのに」

「それが真実であると確認する方法がないんだよ」

べしべしべしと蕎麦屋のカウンターを叩くカイトに、蕎麦屋の親父はうさんくさげな顔をした。そもそも平日の昼間で、ここはざるそば一杯がかなりの値段の高級店である。既に日本を代表する若手演出・脚本家であるカイトには、痛くもかゆくもない友達とのお出かけ先なのかもしれないが、俺たちはどちらも二十代前半の外見をしている。ちょっと変だなと思われても無理はない。

俺は咳ばらいをし、次の投稿を考えた。

 

『高校時代は剣道にうちこんでいました。デビュー作は海の守り人オーシャンセイバーです』

 

隣でカイトが頭を抱えていた。

「ウィキペディアの丸写しか! そんなのは一般常識だ!」

「じゃ、じゃあどうしろって言うんだよ!」

「もっと本人にしかわからない、ファンが喜ぶ情報を出せ! 今日何を食べたとか、小さないいことがあったとか、そういうどうでもいいことで構わないからそういうことを書け!」

「何でそんな情報が嬉しいんだよ……?」

「自分の『推し』が今日も幸せにしているとわかると、それだけで人生が豊かになるだろう! 世界の解像度が上がるだろう! 目の前がキラキラするだろう!」

「そういうもんなのかな…………?」

「そういうものなんだよ。理解を心掛けろ。まったく」

カイトが再びべしべし飴色のカウンターを叩く。今度は店のおやじが咳払いをした。

俺たちはとりあえず蕎麦を平らげ、蕎麦湯をいただき、今度はデサートに梅ゼリーとくずきりを注文し、ふたたびSNSの世界に戻った。

「あっ……フォローしてくれてる人が増えてるよ。ありがたいな」

「おっかなびっくり、といったところだろうな。まだ君が本物であるという確証が持てない」

「うーん……」

そうだ、と俺は手を打った。そしてメッセージアプリを立ち上げ、馴染みの相手に連絡をした。

「これで何とかなると思う」

「ああ、俳優仲間にアカウントをフォローしてくれと頼んだのか。それはいい作戦だな。信頼できるアカウントがフォローしているアカウントには、同じ理屈で信頼性が増す」

「うん。あっ、フォロー来た。はやいなあ」

「一体誰に頼んだんだ」

「司さん」

カイトが蕎麦湯をふきそうになった。司というのは天王寺司さんのことで、俺の俳優の先輩である。殺陣のうまいフェロモン系のイケメンで、舞台でもドラマでも活躍しているマルチタレントだ。確かSNSのフォロワー数も、五万や十万ではなかったと思う。

「使い走りにつかうような相手か……?」

「いや、でも、他に誰に頼んだらいいのかわかんないことがあったら連絡しろよって、前から言われてるし……あ、メッセージがついてる!」

「至れり尽くせりだな……」

ありがとうございます、と返事をするつもりでSNSを立ち上げると。

確かに『天王寺司』というアカウントから、リプライが来ていた。

しかし内容が。

 

『やる気のない偽物だなあ。もっと頑張って』

 

最後に顔文字がいっぱい入っていて、アカウントの警告をしているのか宣伝をしてくれているのか全く分からない。俺は反射的に返事をうちこんでしまった。

 

『司さん! 俺ですよ! ちゃんと連絡したじゃないですか!』

 

またすぐにリプライが来る。

 

『なんちゃって。アカウント開設おめでとう。俺はちゃんと本物だってわかるけど、他の人のために、もうちょっと本物らしくした方がいいよ』

 

司さん流の宣伝であるようだった。このリプライがついてから、俺のアカウントのフォロワー数はびっくりするような勢いで増えてゆき、下り坂のないジェットコースターのような勢いで上昇した。デザートが運ばれてきた時には、もう一万人を超えている。

 

「なんでこんな……俺、まだ、自己紹介しかしてないのに」

「みんな待っていたんだよ。君の生の声が聴けるチャンスを」

「……俳優って、芝居で語ればいいものだと思ってたのに」

「時代が変わった。今はセルフプロデュースも一つの仕事だ。わかったらSNSの勉強をしろ。動画サイトにチャンネルを作れ。もちろん事務所の担当者と一緒にな。無理にやれとは言わないが、開設するくらいなら損はないだろう」

まったくカイトの言う通りだ。でもこれ以上一人でやるのには限度があると思う。

俺は一応、マネージャーの豊田さんに、今後積極的にネットで自分のことを発信してゆきたいと思っているという旨をメッセージで伝えた。当社としてもそういうことが必要な時期だと思っていたという丁寧な返事が入る。ありがたいことだ。

デザートをしっかり味わって、勘定を済ませて店を出ようとすると、カウンターからおやじが出てきて笑いかけてきた。

「お客さんたち、さっきからにぎやかだったね」

「すみません、うるさかったですね……」

「いやあそうじゃないよ。実はね、うちの店にもSNSっての? あるんだよ。よかったらフォローしてくれると、次に来た時にお菓子をおまけするよ」

「そうなんですね! じゃあ宣伝しておきます」

「ありがとね。またお友達連れてきてね」

「…………」

カイトは何とも言えない顔をしながら、領収書をもらって蕎麦の代金を支払った。俺も同じことをする。

事務所に戻る電車の中で、俺は蕎麦の写真をSNSに貼りつけた。

 

『ここの蕎麦、すごくおいしかった! フォローするとお菓子をくれるんだって。また行きます』

 

これならまあ、無難だろう。

俺はスマホを閉じ、事務所のある駅に到着するまでの時間、本を読んで時間を潰した。

そして。

翌日。

 

「カ、カイト……!」

『見事にバズッたな。自己紹介より先に蕎麦屋の紹介をする二藤勝、というまとめもできている』

「まとめって何だよ……?」

『気にするな』

俺は電話でカイトに助けを仰いでいた。

蕎麦屋のアカウントを俺は探さなかったが、俺をフォローしてくれている人たちは探し当てたらしく、『二藤勝の来店した店』『記念すべきアカウント開設の店』として、何やらとても混雑しているらしい。店の店主も自分の顔写真を出し、『ここに二藤さんが座っていましたよ』と顔文字付きで店内写真をアップしている。俺たちのことには全然気づいていなかったと思うが、たぶん来店した人に教えてもらったのだろう。

『それより、更新が止まっているぞ』

「こうしんがとまっている……?」

『SNSと魚は鮮度が命なんだよ。何でもいいから一日一度は投稿するようにしろ。継続的にだ。しかし不要な個人情報は出すな。危険につながる。わかったな』

「サー、イエッサー!」

『まあ、がんばれ』

僕もフォローしている、と言い残して、カイトは電話を切った。今は新作の舞台の稽古に入っているところだという。俺もテレビドラマの撮影がじきに始まるから、そんなにたくさんSNSに時間を取ることはできなくなるかもしれない。それでもまあ、一日一回くらいの投稿は頑張ってみたい。新しい世界が広がっている。

それにしても。

どこをどう探しても、俺をフォローしている人たちの中に『鏡谷カイト』という名前のアカウントは存在せず、それどころかカイトはそういったものを何も設置していない、謎多き演劇人のはずなのだが、「フォローしている」というのは、どういう意味だったのだろう? そのうち教えてもらえることを祈るばかりだ。