11.9

November 9,2022

「家の中でクリスマスマーケットするのってどんな気分?」

「ン。多少、ふしぎ」

「そりゃそうだね!」

茶髪の日本人は、見渡す限りの庭園と、そこここに広がるクリスマスの出店を眺め、あーっと叫び、のびをした。広大な敷地と喧騒のせいで、特に誰も振り向かなかった。

二人の背後には、巨大というにもあまりある、英国貴族のカントリーハウスが控えている。地図帳で言うところのクレアモント・ハウスだった。

「広いなー。スペインの農園にお邪魔して、『広い家』には慣れたつもりだったけど、やっぱこの広さは異次元だ」

「長年にわたる、支配と、搾取と、暴力の、結果」

「エンリーケ、やっぱ日本語の語彙に偏りがあるよ……」

私は英国人なのでと、茶色いカシミアのコートのイギリス人は英語でふざけた。

ツリーのかざりやスコーン、ミンスパイ、ホットワイン、園芸用品など、手に手に収穫を持って出店をめぐる観光客たちは、庭園と邸宅の持ち主がすぐそばにいることに気づかなかった。

冷たい風が吹き抜けてゆく庭園の片隅、マーケットの並びからは十メートルほど離れた場所で、国籍と年齢のはなれた友達は、じっとにぎやかな並びを見つめていた。

「これっていつまで続くの?」

「クリスマスまで」

「そっかあ。じゃあ管理が大変だね。変な人が来てもあれだし」

「高い、入場料をはらってくれる、変な人は、とても、律儀」

「あははは」

笑う青年を見ながら、イギリス人はぽつりとつぶやいた。

「このマーケット、やるのは、ひさしぶり」

「そうなの? 毎年やってるわけじゃないんだ」

「私が、管理しなければ、ならないので。これまでは、そういう時間が、なかった」

「そうなんだ」

それがどちらかというと『時間』ではなく『余裕』の意味であることを、日本人の青年は理解していた。

白い頬にどことなく得意げな色をうかべたイギリス人は、年下の友人に訪ねた。

「どうですか、ハルヨシ? たのしいですか?」

「うん! 楽しいよ! ランチもおいしかったし、リハーサルも楽しかったし」

「それは、よかった」

「あ、そうだ」

忘れないうちに、と口に出しながら、日本人の青年はリュックサックを探った。置いてきたらどうですかとすすめられつつ、かたくなに背中から降ろさなかった黒いバッグだった。

中には白いきんちゃく袋が入っていた。

袋の口にはシックな茶色いリボンがかかっている。

「はいこれ。エンリーケ、誕生日おめでとう。バースデープレゼントだよ」

「オー……! きに、しないでと、もうしあげたのに」

「エンリーケ、『申し上げた』は敬語だよ。俺たちは対等の友達だから『言ったのに』でOK」

「そうでした」

開けてよろしいですか? という通り一遍のやりとりの後、イギリス人は丁寧にリボンをほどき、それを持たせる使用人がいないことに気づくと、そっと自分の腕にかけ、きんちゃくの口を開いた。中には箱が入っていた。一面が透明なプラスチック張りになっていて、箱の中をのぞくことができる。

ジオラマの入った箱だった。

中東風の土壁の家の中に、人々が跪き、飼い葉桶を覗き込んでいる。

イギリス人は目を見張った。

「これは……ベレン?」

「よく知ってるなあ! そうそう、ベレンだよ。スペインのクリスマス飾りの定番。子どもの誕生シーンのジオラマ。英語だと『ベツレヘム』って意味なんだって?」

「そのとおり。あなたもよく、しっている」

「ベツレヘムって何?」

「…………地名」

「そっかあ」

キリスト教における最重要人物が生まれた場所の名前であると、イギリス人は言わなかった。日本生まれの青年は、そうかあそうかあと頷いて、頭のどこかに不思議な地名を刻んでいるようだった。

こほんと咳払いをして、イギリス人は言葉を続けた。

「しかしこれは、ベツレヘムではない。なにかべつのもの」

「ああうん。スペインだとそこらじゅうで売ってる『手作りベレンキット』を、ちょっと日本風にアレンジしてみたんだ。ベレンってみんな、子どもが生まれる場面だろ? ちょっと別のものが生まれてもいいのかなって」

「オウ……その発想は、ベリーざんしん」

「へへへ」

馬屋のかいばおけの中に寝かされているのは、赤ん坊ではなかった。

ピアノとギター。

子どもの誕生を喜んでいるはずのマリアとヨゼフは数が増やされ、一ダースほどの似た顔の男女になっていた。ぎゅうぎゅう詰めのタブラオで、音楽を楽しむ観客のようだった。

「名付けて『音楽の誕生』! なんか楽しそうだろ。音楽があればどんな場所でもみんなで楽しめるよ、って気持ちを込めて作ってみた」

「…………すばらしい」

「あんまりうまくないけど、ちょっと飾って捨ててくれたらいいから」

「ノー。なぜそんなことを言うのか。日本人は、けんそんが、すぎます。プレゼントを、捨ててということは、まったくアプロップリエイトではない」

「あぷろっぷり……?」

「なんですか、その、あれ、あれ。『適切』」

「ああ、じゃあ『適切じゃない』と」

「そう。私はこれを、大事にする。とても大事にします」

「ありがとう。でもエンリーケ、みんな大事にしてくれるじゃん。一緒に行った喫茶店のコースターとか、チョコの包み紙とか。置く場所なくなっちゃわない?」

「なくなっちゃわない。なにぶん、家が、広いので」

「説得力が違うね……」

「そういったものは、仕事中に、取り出して眺めると、楽しくなるのです」

「エンリーケ、最近仕事が忙しいもんな」

「あなたも」

「ぼちぼちでんなあ。ありがたい話だよ」

二人はぼんやりと庭を眺めた。黄色に色づいた木々。半ば枯れた芝草。秋色の花々。薄青色の空。雲。マーケットを楽しむ人々。

「いいなあ。ここに音楽があったら、もっといい」

「では、やりますか」

「コンサートの時間って夕方からじゃないの?」

「それはそうですが、昼間に遊びに、来てくれている人にも、楽しんでもらいたい」

「同感! じゃあゲリラライブしよう」

「…………ゴリラ……?」

「ゴリラライブじゃなくてね、ゲリラ。えー、意味は……あれっ? 英語でゲリラってどういう意味なんだ……?」

「とりあえず、やりましょう」

「おう! とりあえずやろう!」

そして二人は、マーケットのブースから少し離れた場所、夏場には東屋として活用されている、白い丸屋根付きの場に赴くと、防水シートで覆われていた楽器を取り出した。『小さなコンサート』という看板には、スタートは夜からと書かれていたが、音楽家の気分には関係なかった。

 

ギターとピアノがクリスマスらしい明るい音楽を奏で始めると、出店を楽しんでいた人々の顔には少しずつ笑みが広がっていった。次々に小さな花が開いてゆくような景色を、ギタリストとピアニストは満足げに見守りながら、演奏を続けた。