つきのひかり

May 14,2023

花の中で眠っていた。

目が覚めた時まず、えっどうした、と思った。頭の上で花が咲いているのだ。赤とオレンジのあいだくらいの淡い色合いの花。コクリコだろう。ベッドやソファでうたたねした時とはまるで視界が違う。花の上には空が広がっている。明らかに屋外だ。

そして。

「おはようございます」

リチャード。

空と、花と、リチャード。

何だかポエティックだなあと思いながら、わけのわからないまま目を擦り、上半身を起こすと、頭の上から葉っぱが落ちた。

庭園と池。太鼓橋。ああ。

「ヘンリーさんの新しい家……だっけ」

「その通りです」

「コンセプトが印象派で、ええと、ここは」

「ジヴェルニー」

「ってことは、フランス」

「ウィ」

その通りです、とリチャードが答える。徐々に状況理解が現実に追い付いてきた。

俺とリチャードは一週間前からヨーロッパ大陸に来ている。ミュンヘンでのミネラルショーに参加するためだ。ミュンヘンはドイツである。七日前のことだ。その後俺はオーストリアに小旅行をしていた下村とちょっと会い、その時ヘンリーさんの新しい家のことを聞いた。なんかフランスに一軒新しい物件を買って古い家を建て直したっていうから遊びに行ったら、なんかすごくて、なんか俺感動しちゃってさ。なんかなんかそういう感じだった。五日前のことである。その後俺は再びリチャードと合流し――もちろんおみやげのザッハートルテを携えて――フランスでの商談へ赴いた。ちょっとした空の旅である。四日前のことだ。日本の感覚だと国内線くらいの料金でウィーンからマルセイユへ飛び、お得意さまのおうちで俺が何故かブイヤベースを作ったのが三日前。ヘンリーさんから連絡があったのが二日前。

どうやら近くにいるようなのでご連絡しました、二人で私の新しい家に来ませんか、と。

リチャードは少し戸惑っていたが、正直俺はもう頭をヨーロッパモードに切り替えていたので――つまりいろいろな国をはちゃめちゃな速度で移動しまくるということだ。大陸にいる時は大体いつもそんな感じである――もうどこへなりと行くぞというテンションだった。二日間はオフにして二人でサッカーでも見に行こうかという話をしていたのである。だが正直俺もリチャードも少し疲れていた。サッカーを見ながらビールでウェーイというテンションではない。体力も微妙に足りない。一週間の連勤の末にそういうことをするのは、十代か二十代前半でないと厳しい。俺達は二人とも、そのあたりの時代は通り越している。

とはいえ、誘われた場所にもまた多少問題があった。ジヴェルニー。パリ郊外という感じの所在の市である。飛行機ならばひとっとびだが、マルセイユからは電車で五時間の距離だ。もちろんマルセイユと同じ国内ではあるが、なんというか、こう、そこまで『近く』という感じの場所ではない。サッカー観戦と同じくらい疲れそうな気もする。

だがリチャードは、行きたいと言った。

よろしければ、という控えめな前置きつきで。

そうなれば俺には是非もない。

行こう。俺も行きたい。

そういうことになった。

飛行場からレンタカーを借り、ジヴェルニーまで赴くと、即座に黒い服を着たSPと思しき人たちがやってきて、黒い車で誘導してくれた。

連れていかれたのは一面、花園と池に囲まれた、おとぎばなしの家のような邸宅である。色とりどりの淡い小花が咲き乱れ、深い池にはボートが浮かび、ところどころに優雅に歪曲した太鼓橋がかかっている。最近教養を身に着けること著しい中田正義なのでわかった。これは印象派絵画の巨匠、モネのアトリエにあやかったコンセプトで造られた家だ。

ムーミンの家から出てくるスナフキンのように、ヘンリーさんが姿を見せ――その背後にも当然のようにSPがいた――ようこそと微笑んでくれた。彼にはピアノが似合うが、エプロンも似合うことをその時俺は知った。絵を描いていたのではなく、料理をしていたのだという。茶色い首かけエプロンをした彼は、どこにでもいる痩せぎすの男性に見えた。

「最近、いろいろなことをしています。仕事も、遊びも。ここは、遊びの領域。気分転換に、とてもいいです」

仕事というのはクレアモント家のファミリービジネス『保険会社のための保険会社』業ほか、いろいろな金融関係の仕事のことであるらしい。今まではジェフリーさんが一手に引き受けていたものを、彼の休みに合わせてヘンリーさんが請け負っている。俺もリチャードもやや蚊帳の外ではあるのだが、大きな会社の業績は日々インターネットで確認できるので、そこで見ている限りでは、かなりうまくやっているように見える。そしてどんな仕事であれ、継続的にうまくやるには息抜きや気分転換が必要だ。

その一環として、フランスに家が建ったらしい。

確かにとても、気分転換によさそうだ。

ヘンリーさんは俺たちにハイパーゴージャスあずまやのような家を見せてくれて――リビングダイニングキッチンに応接室にグランドピアノにジャグジーバスに巨大な車庫に庭いじり用品の入った巨大な小屋ににその他もろもろつき――いい香りのお茶を手ずからいれてくれて、彼がつくったばかりだという、ちょっと不揃いなクッキーを振舞ってくれた。完璧なおもてなしである。とてもおいしかった。

だがちょっと、疲れた。

ヘンリーさんはおもてなしの最中ずっと緊張していた。いつもの彼である。エンリーケそんなに緊張しなくていいんだよーと言ってわいわい騒げるのは下村の特権である。俺にもリチャードにもそのスキルはない。

結果、三人が三様に疲れた。

ヘンリーさんは「ちょっと一人になります」と言ってスタジオに引っ込み、リチャードは夕飯のおかずを買いに行くといって車で出かけ、俺は。

もう一回庭を巡ってきますと言って。

ゆるやかな斜面になっている灌木のしげみで、池を見下ろし。

ちょっとうとうとしてしまったのだ。

季節は初夏である。腕時計を見ると午後三時だ。うとうとし始めてからせいぜい三十分かそこだらろう。今はまだ日が高いからいいが、夕方までこのままだったら、俺は間違いなく風邪を引いていただろう。

「……起こしてくれてありがとな……うわ、シャツに泥がついてる」

「洗えるタイプのシャツで何よりです」

はは、と俺は笑った。確かにドレスタイプのシャツだったら悲劇である。だがそんなものを着用するのは、それこそ湖畔の古城のパーティか何かに招かれる時だけだ。たまにそういうこともあるけれど。

俺が目をこすっている間、リチャードはじっと庭を見ていた。あるいは俺の背後に咲くピンクや黄色の花を。あるいは俺も。そしてだしぬけに喋った。

「画家の気持ちが少しわかりました」

「画家って……印象派の?」

「花に寄り添うあなたの姿は、雅趣に富んでいたと言うに吝かではありません」

「イージーモードで頼む」

「なんとなく絵を描きたいような心持ちになりました」

「……俺を?」

「他の何だと?」

変な話だ。百万人の画家が絵に描きたがるような容貌の持ち主が、なんとなく俺を絵に描きたいような気持ちになったという。

ちょっと嬉しい話である。

俺がふざけてモナリザのポーズをとると、リチャードは呆れ、それはダ・ヴィンチですと丁寧に訂正してくれた。そして印象派絵画の巨匠であるモネの略歴解説が始まった。画家の絵の中に閉じ込められたような庭園で傾聴する絵画の物語は楽しく、時々悲しく、美しかった。

ヘンリーさんとリチャードと俺は、その晩フランスのスーパーマーケット名物、多種多様なおそうざいのアラカルトを愉しんだ。パテ・ド・カンパーニュやチーズは序の口、最近の和食ブームに乗っかってきんぴらごぼうまで四角い紙パックに入っていた。寿司もあったというが、日本の銀座の寿司に慣れているリチャードは食指が動かなかったらしく、サーモンロールが密かな好物だというヘンリーさんは少しだけ残念そうな顔をしていた。

夕餉の後、ヘンリーさんはピアノを弾いてくれた。

フランス印象派というのは何も絵に限ったものではない。音楽の分野にもそのジャンルでくくられる作曲家たちが存在する。日本でも有名なドビュッシーもその一人だ。

彼の奏でる『月の光』。

静謐な美しさに満ちた音楽だ。

窓の外には半月が浮かんでいる。それが池に反射して、ゆらゆらしたモザイク画のような光の絵模様を描き出す。

画家たちが覚えた『印象』というのは、こういうものなのだろうか。

本物の月ではなく、月の影のようなもの。イマジネーションの躍動する隙間を許してくれるもの。

たとえば俺がリチャードに美を覚えた時に、月や海原を連想するのと同じように。

だとしたら俺も、あいつの言うところの『雅趣』というのが、少しわかる気がする。

それはとても『好き』ということだ。

とても。

ピアノの音が流れてゆく。明日の飛行機は昼だが、パリまでは車で戻り、レンタカーを返却しなければならない。そろそろ眠るべき局面だ。でももう少し起きていたい。池にうつった月の影を見ていたい。

ゆらめく金色の光は、花の中で目覚めた時すぐ傍で聞こえたリチャードの声に、どこか似ていた。