落雷による急な停電か何かが原因だったらしい。
初夏の日、私たちが乗っていたスイス山岳鉄道は、山中で急にストップしてしまった。
食堂車まで据え付けてある列車である。もちろんトイレも毛布もある。一日や二日止まったところで、生死にかかわる大問題になる可能性はわりあい少ないだろう。だが世の中の人には、当時の私のような十歳の子どもでもない限り「明日の仕事」「明後日以降のタスク」というものがあり、交通機関が予想外に一時停止などしてしまおうものなら、それらがとんでもなく遅れてしまって大変なことになるのだ。大抵の人は困る。あるいは戸惑う。最後は怒る。
そして子どもは、そういう大人のイライラした空気を、鋭く感じ取る。
叔父に連れられて叔母の山小屋まで――叔母は私が来るのをたいそう楽しみにしてくれていた――行く途中だった私は、暗くなった電車の中でひとり震えていた。叔父は「様子を見てくる」と言って、私たちの四人掛けの席を立っていってしまった。多分残りの二人がそんなに悪い人ではなさそうなことを察してのことだったのだろう。二人と叔父は打ち解けていた。だが私は全然そうではなかった。何しろ片方はアジア人の顔をしていたし――叔母は山小屋を綺麗に使ってくれないことがあるとかで、言葉にはしないがアジア人全般が嫌いなようだった。アジアンキュイジーヌは好きなのに。変な話だ――もう片方は「本当に生身のひとですか」と尋ねたくなるような美麗な面貌の持ち主だったのだ。どちらも男性である。そして私は、男の子っぽい服を着ていたが、女の子だった。怖かった。
私がびくびくしていると、アジア人の方が懐からペンライトを取り出して点灯してくれた。携帯端末の明かりがあるのでそんなに真っ暗というわけではなかったのだが、貴重な充電を殺さなくてもいい明かりだ。ありがたかった。
「これでちょっと明るいかな」
「ブラックライトもございますが」
「今ここでブラックライトをつけてもなあ」
二人は何だかよくわからないことを言ったが、私を慰めようとしてくれているようだった。子どもでもそのくらいのことはわかる。私はおどおどしながら「ありがとう」と言ったような気がする。
そこで私は、初めて『アジア人』としか思っていなかった人を、まじまじと観察した。
隣に腰掛けているお人形さんのような男性同様、ぱりっとしたスーツを着ていて、年ごろは二十代から三十代くらい。どことなくあどけない顔立ちに見える気がするけれど、それはきっと人種的な差というものなんだろう。仕事に行くところだったのだろうか。だとしたら彼らもきっと、別の車両から聞こえてくる怒鳴り声の主のように、イライラしたりカリカリしたりしているはずなのに、全然そんな素振りは見せない。
私を怖がらせないようにしてくれているのかもしれない、と。
十歳にしては明敏な観察力で、私はそんなことを考えた。思えば幼い頃からけっこう気遣いをする方だったと思う。
でもそこで「こんな風になるなんて、困ってしまいましたね」なんて話を広げられるほど、もちろん大人というわけでもなかった。
黙り込んでしまった私の前で、二人の大人はちらりと顔を見合わせて、何か思いついたような顔をした。
頷きを交わすと、アジア人の彼が立ち上がる。
彼は頭上の荷物置き場にあげていた、白いビニール袋をそっと下ろした。中には白い箱が入っている。カトラリーがついていたから、食べ物か何からしい。
美しい方の彼がペンライトの明かりで照らしてくれる中、アジア人の彼は箱を開けた。
すると。
「わっ……」
ケーキだ。美しいホールのケーキが入っていた。
クリームか、チーズか、ホワイトチョコレートでコーティングされている白い生地に、まるで宝石を散らしたような色とりどりのチョコレートとフルーツが踊っていて、その上に銀色のアラザンが散らされている。更にその上には、昔の映画に出てくる貴婦人のベールのような、アミアミになったチョコレートがふんわりとかかっていた。
ちょっとやそっとの値段では買えないものであることくらい、当時の私にもわかった。
間違いなく、それまでの人生で見た中で一番豪勢なケーキに、私はくらくらし、目を見張った。
アジア人の彼は、私を見てにっこり笑った。
「よかったら、一緒に食べない?」
「え?」
「今日、これからペンションに行ってパーティをする予定だったんだけど、多分今日はここで夜を明かすことになりそうだから。ケーキはいたみやすいから、保冷剤が切れると危ないしね。手伝ってくれると嬉しい」
「これ、食べていいんですか……」
「よろしければ」
美しい方の彼が補足してくれた。
しかし、しかしである。
パーティで食べるはずだったケーキを、幾らなんでもとおりすがりの十歳が食べていいはずがない。そんなのはおかしい。
もちろん喉から手が出るほど食べて見たかったけれど、そこで迷わず手を伸ばせるのはせいぜい四歳くらいまでの子どもだと思う。
私がおずおずと首を横に振り、事態が硬直する中、折しも叔父が戻ってきた。
「いやあ、困ったな! 落雷が原因だそうですよ。先頭の運転手車両は大混雑でね、事情を聴きに行くだけでも大変な時間がかかりましたよ。エミリア、悪いけれど辛抱を…………おや?」
叔父はそこでケーキに気づいた。
思い立ったら何でも質問してしまう性質の叔父は、これは何ですかとすぐに尋ねた。美しい方の彼が答える。
「今日はこちらの、私の大切な友人であるセイギの誕生日なのです」
「えっ。そりゃあ災難だ。誕生日にこんな目に遭うなんて」
「いやあ、逆に忘れがたい日になって楽しいかもですよ」
フランクな口ぶりでアジア人の彼は喋り、叔父は笑った。
叔母はアジア人のことがあんまり好きではないようだが、叔父にはそういうところがない。アジアンキュイジーヌはそんなに好きではないようだが、彼は叔母と二人で経営する山小屋にやってくる客人それぞれのことを『おおざっぱに言えば友達』のように思っている節があり、やってきた人たちとちょくちょくメールで連絡を取り合っていたりした。人種は問わない。彼は自分とは違う土地に暮らしている人たちに、いつでも好奇心いっぱいに向き合っているのだ。それが正しいことなのかどうか私には今でもわからないが、少なくとも叔母よりは『正しい』寄りの姿勢だったのではないかとも思っている。
美しい方の彼は、私と叔父に、プラスチックのフォークとケーキ店の紙ナプキンを配った。さあ食べましょうという感じである。
アジア人の彼はにこにこしている。
私は急にそれが悲しくなった。
だって、誕生日なのに。彼のための日なのに。
私だったら、自分の誕生日がこんなことになったら、つらすぎて泣くと思った。相当な無理をしなければ、笑うことなんてできるはずがない。十歳でもそのくらいのことはわかった。いや、十歳だからこそ、誕生日というものが一年の中でものすごくものすごく大事な年齢であったからこそ、強くそう思ったのかもしれない。
そして理解した。
ここで私が、果たすべき役割を。
私は小学校付属のコーラスクラブの副部長だった。教会のクワイヤにも参加している。
歌は、人を楽しませてあげるためにあるもの。神さまが人間にくれた、とても大切なもの。オペラ歌手でもあり敬虔なクリスチャンでもある先生は、そんな風に教えてくれた。神さま云々のところこはちょっとよくわからないが、その他の部分には、私は全面的に賛成する。
人を楽しませてあげるためのものが、私に使えるなら。
それを使うのは今である気がした。
私は十歳児が発揮できるなけなしの勇気をふりしぼり、ブーストし、日本のアニメに出てくるスーパーパワーの持ち主のように発散した。まず立ち上がる。叔父、美しい方の人、アジア人の人が私を見る。何だろうという顔だ。恥ずかしさを引きちぎる。
私は口を開き、歌い始めた。
ハッピーバースデー・トゥーユー。
ハッピーバースデー・トゥーユー。
オペラ歌手直伝の全力の歌である。けっこうな迫力があったと思う。
ハッピーバースデー・ディア。
そこまで歌って私は困った。
さっき、この人の名前を聞いた気がする。でもよくわからなかった。ハンスとかフィンとか、同級生に何人もいるような名前ではなかったからだ。
ええと。ええと。
私が戸惑っていると、アジア人の彼は笑って、自分の顔を指さし、何かを言った。言ったと思う。だが聞き取れなかった。
さっきとは違う理由で。
ハッピーバースデーの歌が聞こえてきた。
なんだこのやろう、という怒鳴り声が聞こえてきた、隣の車両から。
運転手たちのいる車両があるという、反対側の車両から。
ハッピーバースデー・トゥーユー。
ハッピーバースデー・トゥーユー。
最初のうちは一人二人の声しか聞こえなかったが、暗闇の中で声はどんどん大きくなっていった。すごい。男の人も女の人も歌っている。十人ではない。二十人。もっといる。いつまで経ってもサビの訪れない『ハッピーバースデー』ではあったが、その分歌声がどんどん加わってくる。みんな楽しそうだ。
歌声がわんわんと列車の全部にこだましてゆく。
奇跡だと思った。
私は音頭をとるつもりで、ソプラノの声を張り上げた。
「ハッピーバースデー・ディア」
「セイギ」
彼は自分の顔を指さし、私は笑った。
「……セイギー!」
ハッピーバースデー・トゥーユー、のパートは、多少ぐちゃぐちゃしつつ、再び列車全部の大合唱になった。
おめでとう、おめでとう、という声が、いろいろな国の言語で聞こえてくる。そして拍手。拍手。喝采。
アジア人の彼、もといセイギ氏は照れくさそうな顔をし、四人掛けのボックス席から通路に顔を出すと、サンキュー! サンキュー! と怒鳴りまくっていた。英語だけではなく、いろいろな国の言葉で。私にわかるのは四か国語だけなのだが、彼はその倍くらいの言葉で「ありがとう」が言えるようだった。
私たちのボックスに戻ってきた彼は、にこっと笑い、私に手を差し出した。
「ありがとうございます。最高の夜になりました」
「…………いえ、そんな」
「俺はセイギ・ナカタ。あなたは」
「……エミリア・ミュラー」
「エミリア。本当にありがとう」
照れる私の前で、彼はケーキを指さした。
「じゃ、食べよっか」
私は頷いた。
ほとんど真っ暗な列車の中で食べたケーキは、夢より夢のような、天国の味がした。
結局それから一時間後、電車は動き出した。私は焦った。もし美しい人とセイギの二人が、パーティに間に合ってしまって、しかしケーキがないということになったら、どう説明すればいいのだろう。
よくわからない理由でそわそわし始めた私を叔父は案じたが、うまく説明できる気がしなかったし、説明したとしてもどうしようもないのはわかっていたので、私は沈黙した。セイギ、ごめん。本当にごめん、という気持ちを込めて、ちらちら彼の顔を見る。セイギはにこにこしていた。歌が本当に嬉しかったらしい。
それからさらに一時間で、終点の駅に到着し、私たちは握手をして別れた。叔父はいつものようにネームカードの交換をし、二人と「また会いましょうね」と言っている。
相変わらずそわそわしている私は、ケーキを食べてしまってごめんなさいという念を送ってセイギを見ていたが、いつの間にかすぐ側に、美しい方の彼が近寄ってきた。
そして彼はほんの少し、かがむように姿勢を提げて、私にだけ囁いた。
「ご心配なく、フロイライン。実はケーキはもう一つ準備してあります」
「えっ」
「とってもおいしいケーキですよ。ですがそれは、セイギには内緒なのです」
びっくりさせたいので、と笑い、美しい人は小さくウインクした。天使のウインクってこんな風なんだな、と私は感動し、その後すぐその美しさを忘れた。美しすぎて記憶の中ですら反芻することができないのだ。蜃気楼のような現象だった。
駅の出口は散々だった列車の旅を毒づく人たちで溢れていたが、私たちは笑顔で別れた。二人は手配していたレンタカーで。私たちは叔父の車で。
さようなら、と車から手を振ると、二人も振り返してくれた。
叔父の言う「また会いましょうね」に、本当の意味がないことくらい、十歳の私だって既に理解していた。地球は広いし、世界の人口は何十億人といるのだ。旅の中で出会った人たちに二度と会うことはない。
それでも。
私はあれ以来、列車が運悪く停電した初夏の日を迎えるたび、彼らのことを思い出す。
いつかまた会えるだろうか。
もし会えることがあったら、やりたいことは決まっている。彼に再び『ハッピーバースデー』の歌を贈るのだ。私はあの時からずっと、毎日、歌の練習をしているので、あの時よりはもう少しましになっていると思う。
多分無理だと思う。そんなことは奇跡だ。
でも、だったら、あの停電の列車の中で起こったことだって、奇跡だろう。起こってしまうから奇跡は奇跡なのだ。百パーセントありえないとは限らない。
だからいつか、私も彼らにまた会えるかもしれない。
そんな夢を抱きつつ、私は仕事場に、オペラハウスに向かうのだ。
(初出 当blog, 書き下ろし)