「家の中でクリスマスマーケットするのってどんな気分?」
「ン。多少、ふしぎ」
「そりゃそうだね!」
茶髪の日本人は、見渡す限りの庭園と、そこここに広がるクリスマスの出店を眺め、あーっと叫び、のびをした。広大な敷地と喧騒のせいで、特に誰も振り向かなかった。
二人の背後には、巨大というにもあまりある、英国貴族のカントリーハウスが控えている。地図帳で言うところのクレアモント・ハウスだった。
「広いなー。スペインの農園にお邪魔して、『広い家』には慣れたつもりだったけど、やっぱこの広さは異次元だ」
「長年にわたる、支配と、搾取と、暴力の、結果」
「エンリーケ、やっぱ日本語の語彙に偏りがあるよ……」
私は英国人なのでと、茶色いカシミアのコートのイギリス人は英語でふざけた。
ツリーのかざりやスコーン、ミンスパイ、ホットワイン、園芸用品など、手に手に収穫を持って出店をめぐる観光客たちは、庭園と邸宅の持ち主がすぐそばにいることに気づかなかった。
冷たい風が吹き抜けてゆく庭園の片隅、マーケットの並びからは十メートルほど離れた場所で、国籍と年齢のはなれた友達は、じっとにぎやかな並びを見つめていた。
「これっていつまで続くの?」
「クリスマスまで」
「そっかあ。じゃあ管理が大変だね。変な人が来てもあれだし」
「高い、入場料をはらってくれる、変な人は、とても、律儀」
「あははは」
笑う青年を見ながら、イギリス人はぽつりとつぶやいた。
「このマーケット、やるのは、ひさしぶり」
「そうなの? 毎年やってるわけじゃないんだ」
「私が、管理しなければ、ならないので。これまでは、そういう時間が、なかった」
「そうなんだ」
それがどちらかというと『時間』ではなく『余裕』の意味であることを、日本人の青年は理解していた。
白い頬にどことなく得意げな色をうかべたイギリス人は、年下の友人に訪ねた。
「どうですか、ハルヨシ? たのしいですか?」
「うん! 楽しいよ! ランチもおいしかったし、リハーサルも楽しかったし」
「それは、よかった」
「あ、そうだ」
忘れないうちに、と口に出しながら、日本人の青年はリュックサックを探った。置いてきたらどうですかとすすめられつつ、かたくなに背中から降ろさなかった黒いバッグだった。
中には白いきんちゃく袋が入っていた。
袋の口にはシックな茶色いリボンがかかっている。
「はいこれ。エンリーケ、誕生日おめでとう。バースデープレゼントだよ」
「オー……! きに、しないでと、もうしあげたのに」
「エンリーケ、『申し上げた』は敬語だよ。俺たちは対等の友達だから『言ったのに』でOK」
「そうでした」
開けてよろしいですか? という通り一遍のやりとりの後、イギリス人は丁寧にリボンをほどき、それを持たせる使用人がいないことに気づくと、そっと自分の腕にかけ、きんちゃくの口を開いた。中には箱が入っていた。一面が透明なプラスチック張りになっていて、箱の中をのぞくことができる。
ジオラマの入った箱だった。
中東風の土壁の家の中に、人々が跪き、飼い葉桶を覗き込んでいる。
イギリス人は目を見張った。
「これは……ベレン?」
「よく知ってるなあ! そうそう、ベレンだよ。スペインのクリスマス飾りの定番。子どもの誕生シーンのジオラマ。英語だと『ベツレヘム』って意味なんだって?」
「そのとおり。あなたもよく、しっている」
「ベツレヘムって何?」
「…………地名」
「そっかあ」
キリスト教における最重要人物が生まれた場所の名前であると、イギリス人は言わなかった。日本生まれの青年は、そうかあそうかあと頷いて、頭のどこかに不思議な地名を刻んでいるようだった。
こほんと咳払いをして、イギリス人は言葉を続けた。
「しかしこれは、ベツレヘムではない。なにかべつのもの」
「ああうん。スペインだとそこらじゅうで売ってる『手作りベレンキット』を、ちょっと日本風にアレンジしてみたんだ。ベレンってみんな、子どもが生まれる場面だろ? ちょっと別のものが生まれてもいいのかなって」
「オウ……その発想は、ベリーざんしん」
「へへへ」
馬屋のかいばおけの中に寝かされているのは、赤ん坊ではなかった。
ピアノとギター。
子どもの誕生を喜んでいるはずのマリアとヨゼフは数が増やされ、一ダースほどの似た顔の男女になっていた。ぎゅうぎゅう詰めのタブラオで、音楽を楽しむ観客のようだった。
「名付けて『音楽の誕生』! なんか楽しそうだろ。音楽があればどんな場所でもみんなで楽しめるよ、って気持ちを込めて作ってみた」
「…………すばらしい」
「あんまりうまくないけど、ちょっと飾って捨ててくれたらいいから」
「ノー。なぜそんなことを言うのか。日本人は、けんそんが、すぎます。プレゼントを、捨ててということは、まったくアプロップリエイトではない」
「あぷろっぷり……?」
「なんですか、その、あれ、あれ。『適切』」
「ああ、じゃあ『適切じゃない』と」
「そう。私はこれを、大事にする。とても大事にします」
「ありがとう。でもエンリーケ、みんな大事にしてくれるじゃん。一緒に行った喫茶店のコースターとか、チョコの包み紙とか。置く場所なくなっちゃわない?」
「なくなっちゃわない。なにぶん、家が、広いので」
「説得力が違うね……」
「そういったものは、仕事中に、取り出して眺めると、楽しくなるのです」
「エンリーケ、最近仕事が忙しいもんな」
「あなたも」
「ぼちぼちでんなあ。ありがたい話だよ」
二人はぼんやりと庭を眺めた。黄色に色づいた木々。半ば枯れた芝草。秋色の花々。薄青色の空。雲。マーケットを楽しむ人々。
「いいなあ。ここに音楽があったら、もっといい」
「では、やりますか」
「コンサートの時間って夕方からじゃないの?」
「それはそうですが、昼間に遊びに、来てくれている人にも、楽しんでもらいたい」
「同感! じゃあゲリラライブしよう」
「…………ゴリラ……?」
「ゴリラライブじゃなくてね、ゲリラ。えー、意味は……あれっ? 英語でゲリラってどういう意味なんだ……?」
「とりあえず、やりましょう」
「おう! とりあえずやろう!」
そして二人は、マーケットのブースから少し離れた場所、夏場には東屋として活用されている、白い丸屋根付きの場に赴くと、防水シートで覆われていた楽器を取り出した。『小さなコンサート』という看板には、スタートは夜からと書かれていたが、音楽家の気分には関係なかった。
ギターとピアノがクリスマスらしい明るい音楽を奏で始めると、出店を楽しんでいた人々の顔には少しずつ笑みが広がっていった。次々に小さな花が開いてゆくような景色を、ギタリストとピアニストは満足げに見守りながら、演奏を続けた。