「知ってるか、こういうのを昔の世界では『ゴミ屋敷』って言ったんだぜ」 「ゴミ屋敷…………いや、この屋敷の構築物は従来の建造物と同じ、リサイクル素材でできたアスファルトとセラミックで」 「あーあーそういうことじゃねーよでももうそれでいいよ」 海にそびえる白亜の塔、キヴィタス自治州。 富裕層しか暮らすことのできないその最上階近くで、一人の人間と、一体のアンドロイドが立ち尽くしていた。 目の前に広がる屋敷は、たまねぎのようにたわんだ屋根を幾つも擁する、おとぎ話の宮殿のような建造物だったが、その周辺。 全てを。 半透明のポリ袋が埋め尽くしていた。 廃棄物である。 中身は全て、布類であった。 服である。 「過去のこの屋敷の持ち主、アンドリューズ・ワイエムは著名なデザイナーだったそうだ。天候管理部門にも物言いが可能な権力者で、この屋敷のまわりには雨を降らせないようにという言いつけも厳守させたという。逝
※この小説は、集英社オレンジ文庫から発売されている『忘れじのK 半吸血鬼は闇を食む』のネタバレを含みます。まだ読んでいない方は、可能であれば読了後の閲覧をおすすめいたします※ ・ ・ 「ガビー、甘いものが好きなの?」 「どうして」 「だって……」 こういうものを作ってくれたわけだし、と。 テーブルの上を促すかっぱに、ガブリエーレは苦笑いした。 九月に誕生日を迎えた、幸薄いダンピールに、ガブリエーレはスーパーで購入できるありあわせの材料で、コーヒーとマスカルポーネのクリームの重ねもの――ティラミスを作成したところだった。 言いよどんでから、ガブリエーレは答えた。 「甘いものは、そうだな、食べるのが好きだ。ブドウ糖はテスト勉強の相棒だからな。だが作るのは……そうだな…………これが初めて、だな」 「すごく上手だよ。身近に料理が上手な人がいた
俺の名前は中田正義。二十代の日本人男性だ。 俺には毎年、気持ちがもやもやする日がある。 気が重い、とまでは言わないものの、もやもやする日が。 ひろみ――俺の母の誕生日だ。 毎年花を送っている。海外での生活が長くなってからは、電話をかけるようにも心掛けている。ひろみ、おめでとう。元気か? 元気で過ごしてくれよ。俺は元気だよ。じゃあ。 それで終わる。 我ながら嫌になるが、これはただのルーティンだ。 ただ、そういうことをやっているだけである。 一般的な一人息子というのは、母親の誕生日をどんな風に祝っているものなのだろう。 こんなことを考えてしまうのは、俺がいわゆる、『一般的な一人息子』ではない自覚があるからだ。しかしそれを言うなら、ひろみだって『一般的な母親』ではないと思う。いい、悪いの話ではない。彼女はシングルマザーだし、過酷なDVサバイバーであるし、俺を大学まで通わせてくれたあ
「……バレンタインに、好きな子からチョコもらったんだけど、どうすればいいかわからない」 爆弾。 たとえるならば、そんな言葉だった。 エトランジェのうららかな午後、ご来店なさった春田さまご夫妻は、ひとりの男の子をともなっていた。名前は祐也。中学二年生の男子で、俺の感覚だとおよそ宝石に興味のある年頃とは思えないのだが、物静かで思慮深そうな文系男子という雰囲気だった。 そしてご夫妻曰く、今日は祐也がエトランジェに行きたいって言ったのよね、とのことだった。 俺とリチャードは密かに視線を交わした。十四才の男の子が、両親に秘密で宝飾品をオーダーするとは思えない。何か話があってのことだろう。俺か。リチャードか。どっちだ。まあリチャードだろうが。 久しぶりに入荷した緑色のガーネットや、元気なオレンジ色のオレゴンサンストーンなどをお買い上げになった後、ご夫妻は気を利かせたのか「ちょっとそこの喫茶店でケーキを
だからサンタはいないんだよと。 言えたら楽になったのだろうが。 それを言ってはいけないことくらい、小学生の俺にもわかっていた。 サンタはお父さんなんだよ、サンタは家族の人が演じているものなんだよと、帰りの会が終わった後で、わざわざ女の子に話しかけにいったお調子者の男子がいた。たぶんそいつには悪気はなくて、ただ自分が知ったばかりの「いいこと」をその子にも教えてあげたくて、あとは多分すこし、その子に自分を大人っぽく見せられたらいいとでも思っていたのだろうが、もくろみはあっけなく潰えたようだった。 女の子は泣き出してしまったのだ。 なんでそんなこと言うのと、泣きじゃくるその子に、だっていないんだよ、本当にいないんだよと、情報の信憑性を疑われた科学者のように、そいつは繰り返していた。そういう問題じゃないだろうと、子ども心に自分が思っていたのを覚えている。 ちなみに俺の家には、昔からサンタはいなかっ
「カモミールティーです。どうぞ」 そう言って、彼は私にお茶を差し出した。白いマグカップ。白いソーサー。タイル壁の上に木のお盆と、寸胴な円錐形のガラスのティーポット。周囲に広がる、緑の庭の風景。オレンジの果実。金色の日差し。 緑のエプロンをつけた甘い顔立ちのお兄さんは、癖のある黒い髪をオールバックのひっつめにしている。髪の結われた襟元で、黒い毛が少しはねていた。 何がどうしてこうなったのか、正直よく覚えていない。 ただ今日の私は、会社から帰宅するのが嫌だった。とても嫌だった。 帰宅したらそれで『今日』を終わりにしなければならない。 帰宅したら今日という日が定まってしまう。寝ざめが最悪で少し遅刻して、うまくやれない先輩にネチネチと小言を言われて、遠くから星を眺めるような気持ちで追いかけていた芸能人が結婚したというニュースが入ってきて、夕方に後輩から「連絡したと思ってたんですけど」