こんにちは。わたしのなまえは、無理チャードです。
むりちゃーど、と読みます。
日々起こるいろいろなことが大体無理な、三頭身くらいの存在で、口ぐせは「無理です」「ああ無理です」「もう無理です」などです。サイズ感? あってないようなものですが、手乗りサイズくらいだとおもっていただければよいでしょう。
説明します。
私のおやぶんにあたる存在は、リチャード・ラナシンハ・ドヴルピアンというたいそうな名前を持った美貌の男です。しかし彼はええかっこしいなので――失礼このようなことをおやぶんに申し上げるのはいけないことですがわたしは無理チャードなのでゆるしてください――日常の中で「ちょっと無理だな」と思っても「無理です」とはなかなか言わないのです。
そんな彼の無理概念の集合体が、わたし、無理チャードであるわけです。
わたしのおうちは親分のこころのなかです。
こころのなかにわたしを感じる時、わたしはそこにいます。
もうこの話無理ですついていけないです、と思われたかた、もっともです。無理なものは無理、無理をしないで引き返すのもよろしいでしょう。無理のないはんいで楽しくおすごしください。
さて今日も無理チャードたる私は、元気なく「無理です」と唱えたい数々の出来事に囲まれつつ、「無理です」という気持ちなどおくびもださず――おくびってなんなのでしょうね? しりません――生活しています。
しかし昼下がり、その瞬間はやってきました。
「リチャード、提案なんだけど、しばらくプリンの量を減らさないか? 心配なんだよ。健康診断の結果は全部見てるし、お前が健康体なのもわかってるんだけど、やっぱり一日三つはどうかと思う」
ガーン。
無理チャードたるわたしのあたまには、稲妻が落ちてきたような衝撃がはしりました。
むりです。そんな。むりです。むりむりむりむり。
プリンというものは、わたしのおやぶんリチャード氏の、なんというか、こころの燃料のような存在です。つくってくださるのはリチャード氏のこころのとも正義さんで、彼はとてもプリンづくりが上手です。
食品栄養成分表にどのようなことが書かれているのかとは別に、これを食べるとリチャード氏はたいへん元気になり、そしてわたし、無理チャードの仕事が遠ざかってゆきます。たいへんよろこばしいことです。
しかしそのプリンがなくなってしまうなんて。
そんな。
それは『無理』以前の問題では?
プリンづくりの達人たる正義さん、それはちょっと、無理すぎるお話では?
わたしのおやぶんたるリチャード氏は、すこしだけ下唇をかみしめると、ものうげな眼差しをつくり、正義さんを見つめました。
「解せない話です。健康診断の結果は、私が日々プリンを楽しむために節制していることの証明では? そして言わせていただきますと、私は一日二つのプリンしか食べない日もあるのです。三つは平均値ではありません」
そうだそうだそうだ、おやぶんもっと言ってやってください。正義さんをせっとくしてください。無理チャードたるわたしは強い思いとともにおやぶんを応援します。
プリンが減ってしまったら、あるいはなくなってしまったら。
どれほどわたしの出番が増えてしまうことでしょう。
おお、ぜんぜんうるわしくないメランコリックよ、どっかそのへんで潰れていてください。無理チャードたるわたしは、おやぶんのむねのなかでぬくぬくして「今日はやることがないな、ふっふん」という気持ちで日々をすごしたいのです。プリンがおいしいなとか、冷蔵庫にプリンがあるなとか、そういうことを考えているおやぶんの影にかくれていたいのです。
プリンなしなんて、考えたくもない。
無理です。
無理すぎて無理です。
おやぶんと正義さんはそれからもしばらく話し合いをつづけました。科学的な話、心理的な話、いろいろな観点から語り合います。わたしはハラハラしながら話を聞いていました。もう何でもいいのでプリンを許してほしい。それでいいのです。正義さん、どうかお願いします。
しかし話し合いは平行線をたどりました。正義さんはとにかく「心配だ」「試しに」を連発し、おやぶんは「解せません」「心配無用です」を繰り返します。どっちもどっちで会話のキャッチボールがつづかないのです。わたしはだんだん外の世界が近づいてゆくのをかんじました。無理チャードたるもの、外に出るべきではありません。そんなのはあたりまえのことです。
しかし話し合いが十五分をこえた時。
わたしはしんぼうがたまらなくなりました。
ぱっと視界がひらけます。正義さんの顔がさっきより近く見えるようになりました。
わたしが外に出たのです。
下唇をむにっとして、わたしはつぶやきました。
「…………無理です」
「えっ」
「無理です」
正義さんはこどもっぽい仕草にびっくりしたようでしたが、しかたありません。わたしは無理チャードで、いつもはおやぶんの胸の底にそんざいしている妖精さんのようなものなのです。でも正義さんがあれこれいうので私が出てこなければならなくなってしまいました。まったくもう困ったものです。
じっとりした目でみつめると、正義さんはさっきよりもっと困った顔になりました。ふっふ。いいきみです――きみとは言いますが、しろみとは言いませんね。なんででしょう――。もっといっぱい困るがいい、とわたしは思いました。おやぶんのリチャード氏はこんなことを全然考える人ではないのですが、わたしは無理チャードですので、こういうこともあるのです。ふんす。
わたしがいじいじした様子を見せると、正義さんはあわてふためき、ついにはこう言いました。
「わかった、わかったよリチャード。俺が悪かった。健康診断の結果は、お前が頑張った結果なんだもんな。これでプリンをなしにするんじゃ、フェアじゃない。少なくとももっと前に話し合うべきだった。ごめん」
その瞬間、わたしはぎゅうっと襟首をつかまれたようにうしろにふっとんでゆき、おやぶんの胸の奥のやわらかい場所に着地しました。ふっかふかです。正義さんの顔がふたたび遠くなります。
リチャード氏はいつもの、大変折り目正しく、秀麗で、彫刻のように端正な表情をつくると、ふっと優雅にはなをならしました。
「わかっていただけたようで、大変嬉しく存じます」
わたしもたいへんうれしくぞんじていました。
ああ、よかった。ほんとうによかった。
わたしは無理チャードなので、こういった「よかった」「ほっとした」という感情をおぼえることは少ないのですが、今は頭のてっぺんからつま先まで全てのパーツが「安堵」の気持ちでみたされているため、こういうこともあります。
よかった。
ほんとによかった。
無理にならなくてよかった。
わたしがのびのびと寝転がってにこにこしていると、正義さんが何かを言いたそうな顔をしました。何でしょう。
「どうかしましたか?」
「いや……今こんなことを言っても説得力がないけど、お前が……こんなにずっと俺のプリンを好きでいてくれるなんて、ちょっと信じられないくらい嬉しくてさ。ありがとう、リチャード。これからもよろしく」
そう言って正義さんはにっこりと微笑みました。
無理です。この人なんなんですか。笑えばいいと思ってるんですか。そうですよね。だってそういう戦略を使うことはおやぶんにもあって、正義さんはおやぶんから身のこなしを学んでいるんですから。しかし正義さんはおやぶんよりも心根のまっすぐなところの多い人なので、言い回しといい笑顔といい、かなりダイレクトにアタックしてきます。
これもけっこう無理です。
わたしはおやぶんの心の奥底で、ぼそっとつぶやきました。
END