ご注意:このSS(短い小説)は宝石商最終巻後の時系列のお話になります。そのため最終巻のネタバレが含まれます。最終巻未読の方は、このSSを読まないでとっておくか、ネタバレを気にしないで読むか、どちらかになってしまいます……。どうぞお許しください。
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「結婚して一度目の誕生日祝いが電話というのは、いかがなものかと思います」
都内のコーヒーショップ。
勉強の学生も外回りの営業もいなくなった十八時。
子どもの日用のおりがみ掲示を壁からはがし、あとは捨てるだけ、という状態にした私は、カウンターの中でふいに聞き耳を立ててしまった。手持無沙汰だったのだ。
店内の一番奥の席で、さっきまでラップトップPCをいじっていたサングラスの金髪の男性が、今は電話をしている。私は見るからにアジアアジアした外見の日本人だが、十二歳の時まではオーストラリアで暮らしていたので英語も普通に話したり聴き取ったりすることができる。男性は流麗なキングスイングリッシュで喋っていた。
そしてサングラスごしでも明らかにわかるほど、見目が麗しい。
店に入ってきたとき、私だけではなくカウンターの中にいる全員が「やばい」と思った。芸能人の飛び込みロケだと思ったのだ。最近は芸能人本人を店との交渉に向かわせて断りにくくするというやり口が横行しているという。
とりあえず店長を呼ぶべきか、と思い始めた時。
「ミネラルウォーターのボトルをください。店内でいただきます」
彼は普通の、ごくごく普通の日本語で、私たちにそう告げた。
ただの店舗利用者だったのだ。ものすごくハンサムな。
彼はそれから一時間ほど店にとどまり、おそらくは仕事をしていて、今に至る。
そうかやっぱりイケメンは結婚しているものなんだな、と私はしみじみした。私はいま二十三歳の大学生だが、時々飲みに行く友達との話題はおおかた「なぜイケメンにはすでに彼女がいるのか」だ。彼女は大学卒業までに彼氏を見つけ、あわよくば就職二年目くらいに結婚に持ち込みたいという夢を抱いている。私とはかなりライフプランの選び方に差があるタイプだが、いい友達ではあるので週二で飲んでいる。
カウンターからは金髪男性の左横顔が少し見える。だが凝視していたらすぐばれるだろう。店内でもサングラスを外していないところからして、周囲の視線を集めることは望んでおらず、警戒もしていると思う。せめても居心地よく過ごしていただきたいという思いを込めて、私はカウンターの中でマグカップの片づけを始めた。ゴトゴト音が立ち始めたころ、また彼が電話口に話しかける。
「寂しいです。私はとても寂しい。お祝いの言葉を直接申し上げられないのが残念です」
ぐわ、と胸が震えた。
イケメンがパートナーに、節度をもって甘えている。こんなことを言われて嬉しくないパートナーはいるのだろうか。どういう事情で相手の誕生日に同席できないのかは想像するしかないが、普通の人だったら万難を排して彼と過ごせるように予定を調整するだろう。でもそれができないくらい忙しかったのかもしれない。人生は難しい。
私に恋人はいない。多分今後もいないだろう。ほしくないわけではない。ただ私がほしいなと思う心の持ち主は、就職二年目くらいに結婚したいと思っている人なので、現状の日本の法制度がスーパースピードで頑張ったとしてもおそらく無理なのだ。それに子どもも作れない。
あのハンサムさんには子どもがいるのだろうかと私は考えた。英語で会話しているが日本に滞在しているので、ひょっとしたら子どもは日英のミックスかもしれない。学校でいじめられたりしないだろうか。私はオーストラリアから帰ってきて普通の公立校に通ったが、「気取っている」と謎なことを言われて、数か月だけ嫌な目に遭った。日本の学校にはあまりいい思い出がないので、無駄な心配をしたりする。
マグカップを全て片付け終わり、コーヒーメーカーのメンテナンスを始めるころに、金髪の男性はハッとした声を出した。
「……お察しの通り、駅前のコーヒーチェーンにおりますが……?」
おっと。
もしかしたら。もしかしたらパートナーさんが来てくれるのか。アツい。それは非常にアツい展開だ。カフェラテを注文してくれたりしないだろうか。さりげなく私はラテアート研修なども受けているバリスタまがいなので、ミルクフォームに『HBD!』と書くくらいのことはできる。
見るからにそわそわし始めたハンサム同様、来るかな、来るかな、と私も緊張しながらカウンター内で豆の整理をした。二人シフトだが、同僚はバックヤードで飲食メニューの冷凍パウチの数量確認やら何やらをしている。
心境的には彼と二人、私は待った。
来い、来てくれ、早く来い、という気持ちを隠しながら。
そして四十分後。
「コーヒーください! アイスで! 店内で飲みます。リチャード!」
爆風が吹き抜けた気がした。
やや日焼けした肌を持つワイシャツ姿のアジアン青年は、店の奥にいた金髪イケメンが立ち上がると、周囲をちょっと見まわしてから彼を抱擁した。ぎゅっと抱いてサッと離すタイプのハグである。一瞬目に入ったくらいであれば「挨拶」ですむかなという雰囲気だ。私はああいうギリギリの気遣いとごまかしで生きている人たちをよく知っている。サンプルは一つだけだが、観察期間は物心ついてからの二十数年にわたる。
彼らは笑って、幸せそうに見つめあっていた。
「お誕生日おめでとうございます、正義」
「ありがとう。お前にそう言ってもらえると、やっぱり嬉しいよ」
アジアン青年の方は正義という名前らしい。きっと日本人だ。彼らは会話しながら、コーヒーを下膳棚に持って行った。金髪の男性は片付けを始める。そうだ、もうこんなコーヒーショップに用はないに違いない。とっとと二人になれる場所に行って楽しい時間を過ごしてほしい。指にお揃いの指輪が光る。プラチナだと思う。彼らの愛はスタイリッシュで、力強い。
いい誕生日じゃないか。
羨ましくて、勤務中なのに泣きそうになる。
私もいつかこんな幸せな誕生日を迎えられるんだろうか。
私の友達はきっと、近い将来彼女の夢の礎になりそうなパートナーをつかまえるだろう。そして子育てに邁進するだろう。子どもはいらないなんて言うけど私の子守り要員には駆り出すからねと言われているので私もそれを手伝うことになるかもしれない。控えめに言ってそれは、私にとっての幸せではない。でもどこに私の幸せがあるのかわからない。そもそもあるのかどうかもわからない。自分が嫌になることが日々山ほどある。それに慣れてもいる。
それでも私は、今日は自分を好きだと思えた。
出ていこうとする二人のイケメンに、私は思い切って声をかけた。
「あの!」
二人は立ち止まる。会話を邪魔されたので、少しだけ戸惑っている。申し訳ないと思いつつ、私はさっき壁からちぎったばかりの折り紙作品を差し出した。左右の手に一つずつ。
すこやかな男の子の成長を祈る武者人形だ。デイサービスで折り紙を作るのが好きなお母さんを持つスタッフさんの持参品で、おびただしく作るけれど家で捨てるのは忍びないから店に飾って捨ててくれと言われている。赤と黒と黄色の折り紙で作られた五月武者の力作だが――彼女のお母さんの作品は全て力作だ――顔はマジックペンで、なんとなくゆるキャラっぽい。
今日で捨てられるはずだった作品だ。他のスタッフさんが幼稚園児に桜の花の折り紙作品をあげていたこともある。問題にはならないだろう。
私は礼儀正しい微笑みを作って見せた。
「お誕生日、おめでとうございます。あと……ご結婚もおめでとうございます……」
最後の言葉はやりすぎだったかもしれない。電話を盗み聞きしていたのがばれてしまう。しおしおと俯いて、頭を下げているふりでごまかしたが、顔を上げた時にも彼らは私の目の前にいた。
晴れやかな笑顔を浮かべて。
「ありがとうございます! 嬉しいです!」
アジア系のイケメンが笑う。隣にいる英国紳士も、ありがとうございますと小さな声で言ってくれた。
出ていく時、これ玄関に飾ろうなー、とアジア系のイケメンが言っているのが聞こえた。最後にぺこりと金髪の方が頭を下げるが、表情は少しだけ硬かった。カンだが、もう彼はこの店には来ないと思う。ああいうタイプは自分の身辺の情報漏れに対して敏感だ。私が噂好きだったり、彼らの家の近所に住んでいるスタッフがいたりする可能性を考えれば、目立った後の再来訪は危険になる。
もう二度と会えないかもしれない彼らに、私は深く頭を下げた。
私に与えてくれた小さな勇気に、心からの感謝をこめて。
もう残り五時間くらいしかないが、『今日』が彼らにとって、素敵な誕生日になるといい。むつまじく、微笑ましく、時々爆笑してしまうくらい馬鹿馬鹿しく、愉快な思い出にあふれた日になりますように。私は心から祈った。
死ぬまでに一度でいい、私もこんな誕生日を過ごしたい、いや過ごすぞ、という夢を、抱かせてくれたお礼に。
だがこの夢は私の失恋を意味する。彼女の夢と絶対にまじわらないからだ。でもそういうことってあるよなと、今の私は思える気がする。思えると自分を信じられる。
だってあの二人は明らかに、お互いに『相手が初恋』というタイプではなさそうだったから。そもそも生まれ育った土地も環境も違うのではないだろうか? それでも相手と愛をはぐくむことはできるのだ。チャンスはいろいろあるのだ。きっと私にも。
「都さーん、そろそろバックヤード入っていいですよ。おつかれ」
同僚が声をかけてくる。はい、と応じて私は店の奥に入る。すれ違いざま、同僚は少し驚いた顔をした。
「なんかいいことでもあったの? 目がキラキラしてる」
さっきからずっと奥に座っていたイケメンに恋人がいてそれが誕生日だったらしくてハッピーハッピーな雰囲気でしたよ、と私は言わなかった。言いたくない。これはずっと私が心のおまもりにしたい思い出だ。
私はどうでもよさそうな口ぶりを装い、軽く眉を持ち上げて告げた。
「折り紙あげたら喜ばれたんです。それだけですよ」
「ははは。都さんって善人だね」
同僚はカウンターに入り、新しくやってきた客に応対し始めた。私は振り向かずに、バックヤードとカウンターを仕切る扉をしめる。
自分が善人かどうかは知らない。自信もない。でもできることならそうありたいと私は祈る。自分の誕生日に、恋人の前にかけつける男のように。祈ることは自由だ。そして祈っていたら、いつかいいことがあるかもしれない。
そう信じることだって、きっと私の自由だ。
(2026年5月14日、書き下ろし)