年末特番04みのるくんのいない間に 「リチャード、俺……うまくやれてるかな」 みのるくんが学校に行き、珍しく俺とリチャードの二人が家に残った朝。 気づけば俺は、そんなことを尋ねていた。 二人暮らしになるはずだった生活が、三人暮らしになってから二週間。そこそこ慣れてきた頃合いではあると思う。ありがたいことにみのるくんはリチャードにシンパシーを感じてくれているらしく――ありがとう、美貌の超人の寝起きの悪さよ――変に気を遣いすぎるようなことも、今のところほとんどないように思う。 どちらかというと、彼が気を遣っているのは俺だ。 中田さんという呼び方はようやく『正義さん』に替わったが、それでもやはり、壁は感じる。壁というか、彼が階段の同じ段に乗ってこようとしないというか、俺をずっと見上げてくれているというか。 大丈夫なのか。 大丈夫なのか中田正義――と、俺は一日に何度も自
年末特番03 タローの思い出 「本当にその名前にするのですか」 「何度も言うけど、お前にもっといい候補があるなら、そっちにする」 「………………」 リチャードは黙ってしまった。 クウゥ、と犬が声をあげる。スリランカによくいる雑種の茶色い犬で、まだ若い。一歳にはなっていないと思う。名前はまだない。 今この瞬間には、まだ。 俺たちはスリランカの社宅で、この犬と仲良くやると決めたのだ。 名前をつけるのは俺に任せるとリチャードは言ってくれた。こいつを見つけてきたのが俺だったからだ。もしかしたら俺の中に、既にひそかにこいつを呼ぶときの名前があるのかもしれないと思ってくれたのかもしれない。多少は正しい推測だ。あるにはあった。でもただの愛称のようなものだったので、リチャードのセンスに合わないならば取り下げる。 果たしてその名前は何でしょう、とリチャードが言ったので、俺は胸を張
年末特番02 ホテル滞在 大型ホテルはある種の異空間だ。 施設の中だけで生活が完結してしまう。 寝る所はある。風呂にも入れる。食べ物を買いに行く必要もない。服は毎日洗濯してもらえる。もちろんお金はかかるのだが、今回の俺の場合、そのあたりの経費は全て丸抱えにしてもらっている。凄まじい金額になっているはずだが、今はそれは考えないことにしている。そこまで考えられるほど、メンタルが回復している気がしないからだ。 現在の俺は、いろいろあって療養中――と言えばいいのだろうか。 人生の一大事というとオーバーすぎるが、いやカウンセラーの先生には「そのくらいのことだったと思いますよ」と言われたが、ちょっと嫌な出来事があり、それで精神的にダメージを喰らっている状態なのである。しかしありがたいことに、ひろみや中田さんといった家族、そしてリチャードやその親族など、ありがたいメンバーのフルサポートを受
年末特番01 ダウンジャケットの話 俺、中田正義がエトランジェに勤め始めて初めての冬。 銀座に雪が降った。 昨日に続いて、この冬二度目の雪だ。 店に入った時にはまだ降っていなかったが、三十パーセントの予想で夜からは雪だったので、俺もリチャードも傘を持っていた。だが想定外だったのは、前日の雪がとけて凍り付いて、路面がツルツルになっていたことだ。スケートリンクの上に雪が降ったところを想像してもらいたい。そんな感じだ。 俺はフォーマルめとはいえ運動靴をはいていた。最近セールで買ったダウンジャケットと同じ黒色である。裏はゴム。雪でもある程度は大丈夫だ。 だがリチャード氏は革靴である。 それはもちろん、難儀している。 エトランジェの出口である階段を降り切ったところで、リチャード氏はテナントの壁につかまったまま硬直していた。棒立ちになっているわけではなく、絶妙なバランスを保
「……目が合っちゃったんだよな」 そう言って俺、中田正義は、リチャード・ラナシンハ・ドヴルピアン氏に、しずしずと透明なビニールの包みを差し出した。袋の口には赤字に金糸で刺繍された、はなやかなリボンが巻かれている。 中身はぬいぐるみである。 ひとかかえはあるかという、淡いクリーム色のくまちゃんである。 ところで俺、中田正義はアラサーである。大学生であったことも、もはや懐かしい思い出に化けつつある。良識のなさも多少は緩和されてきたと思う。そういうのは日々の勉強だとも思う。まあそれはいい。 俺は既に、そういう人間であるはすなのに。 大事な人の誕生日に、いきなり趣味でもないものを買ってくるのはどうかと思う。 十二月二十四日。クリスマス・イブの日。 俺の大切なリチャードの誕生日でもある。 毎年プレゼントには頭を悩ませる。ロイヤルミルクティー好きのリチャードらしき茶器を選んだこともあれば、寒いシーズン
2025年12月3日に、早川書房(ハヤカワ文庫JA)から「博士とマリア」が発売されました。 世界が沈没した後の世界を、医療船で旅する「博士」と、助手ロボットの「マリア」のSF作品です。短編連作で、5本収録されています。今まで書かせていただいた作品の中では、「マグナ・キヴィタス」に一番近い世界観ではないかと思います。 担当のKさんが「私が担当した中で間違いなく、一番読みやすい(SFが得意じゃない人にも、という意味)SFです!」と言ってくださった一冊です。とても楽しく書かせていただき、SFマガジンに連載するという初めての体験もさせていただきました。 収録されている「殻むき工場船から」は、もともとのタイトルは「殻むき工場船」だったのですが、友人に『キャラメル工場から』という作品の存在を知らせてもらい、それじゃあ蟹の船とキャラメルのハイブリッドにしよう! と思いこのタイトルになりました。 既に全国
2025年11月19日 宝石商リチャード氏の謎鑑定シリーズの最終巻が発売されました。 『宝石商リチャード氏の謎鑑定 比翼のマグル・ガル』 挿画は雪広うたこ先生です。 10年間にわたるシリーズになりました。 本当に長らくの間、彼らの旅路につきあい、応援してくださった皆さま、ありがとうございました。こんなに幸せな作家はいないと思います。一部を書いていた時は大学生で、進路に迷っていた正義くんが、三部では迷える弟を導く大人になっています。立派になったな……と、後ろを歩いていた男の子が、いつの間にか兄貴分になっていたのを仰ぎ見るような思いです。そしてリチャード氏もまた、彼なりの変化と成長の旅路を経つつ、美しく輝き続けているのだと思います。雪広先生の描いてくださる彼の美しさを見ると、そこに秘められた哀しみや強さを感じられて、なんだか本当に宝石を眺めているような気持ちになってしまいます。雪
2025年6月に、集英社オレンジ文庫から『京橋骨董かげろう堂』という小説が発売されました。辻村七子の新作です。 挿画 野白ぐり先生 骨董イラスト Naomi Toshishige先生 豪華なことに、二人のイラストレーターさまのお力をお借りしています。 物語は現代の京橋(東京駅八重洲口と銀座のあいだあたりのゾーンです)で、そこにある骨董品店「かげろう堂」を巡る、人と骨董の物語になっています。絵の左側にいるのが骨董店の若き店主黒岩さん、右側にいるのが彼と偶然出会う白澤くんです。 オレンジ文庫の公式サイトでは、漫画家の野白ぐり先生の手による「試し読み漫画」(ちょこっとコミカライズしていただいています!)も掲載されていますので、気になった方はぜひどうぞ! また、骨董品の考証や内容に関しては、実在する京橋の骨董店の老舗である「繭山龍泉堂」の川島さんのお力をお借りしています
Blogの更新をずっとごぶさたしておりました、辻村です。 タイトルが全てを語っているのですが、本年発売される宝石商のご本で、シリーズが完結となります。 実に10年! 辻村七子という名前の作家が誕生してからずっと、並走し励まし私を育ててくれたシリーズの幕引きとなります。 感慨深いですが、私に悲しい気持ちは全然なく、むしろ「今までありがとう」と正義くんやリチャード氏をねぎらってあげたい気持ちでいっぱいです。本当に数えきれないほどの稀有な経験を私にさせてくれた二人です。 現在オレンジ文庫公式サイトの「よみもの」というセクションで、「宝石商リチャード氏の謎鑑定 比翼のマグル・ガル」(新刊の名前です)の先行連載が始まっていますが、読まない派の方もいらっしゃると思うので、こちらにリンクは貼らないでおきますね、うっかりクリックして読んでしまうと悲しいかもしれないので……。 もうちょっとだけ
「どうしてダンスの相手を選ばなかったんだ?」 学友のチャーリーに尋ねられたリチャード・クレアモントは、最上級の陶器人形のようなかんばせをひくりとも動かさず、濃淡のない声で答えた。 「では、私は誰の手を取るべきであったと?」 「いや、それは……誰か一番好きなやつとか?」 リチャードはふっと微笑み、チャーリーをどぎまぎさせた。チャーリーは「もしかしてリチャードの一番好きなやつはダンスを申し込んだやつの中にはいなくて、今の微笑みはそれを自分に伝えたいからのことで、だからひょっとしてリチャードの特別な存在は自分なのかな」と、コンマゼロ数秒で考えを巡らせ、頬を上気させた。 が。 「では、私は自習をいたしますので」 麗しい男は微笑みを浮かべたまま、夢を一秒で両断した。 立ち上がり、寮の読書室へと去っていったリチャードの背中を見送りを、チャーリーはちぇっとぼやいてから立ち去った。 男子校に
- 2025年12月 (6)
- 2025年11月 (1)
- 2025年6月 (2)
- 2024年12月 (1)
- 2024年9月 (2)
- 2024年5月 (2)
- 2024年4月 (3)
- 2023年12月 (1)
- 2023年9月 (5)
- 2023年6月 (1)
- 2023年5月 (1)
- 2023年4月 (1)
- 2023年3月 (2)
- 2023年2月 (1)
- 2022年12月 (1)
- 2022年11月 (1)
- 2022年9月 (5)
- 2022年7月 (1)
- 2022年5月 (3)
- 2022年1月 (1)
- 2021年12月 (8)
- 2021年11月 (2)
- 2021年7月 (1)
- 2021年6月 (3)
- 2021年5月 (1)
- 2021年3月 (1)
- 2020年12月 (2)
- 2020年11月 (1)
- 2020年7月 (2)
- 2020年6月 (2)
- 2020年3月 (1)
- 2019年12月 (2)
- 2019年9月 (2)
- 2019年8月 (1)
- 2018年12月 (1)
- 2018年8月 (1)
- 2018年6月 (1)
- 2018年2月 (2)
- 2017年12月 (1)
- 2017年8月 (2)
- 2017年7月 (1)
- 2017年6月 (1)
- 2017年3月 (1)
- 2017年2月 (2)
