「家の中でクリスマスマーケットするのってどんな気分?」 「ン。多少、ふしぎ」 「そりゃそうだね!」 茶髪の日本人は、見渡す限りの庭園と、そこここに広がるクリスマスの出店を眺め、あーっと叫び、のびをした。広大な敷地と喧騒のせいで、特に誰も振り向かなかった。 二人の背後には、巨大というにもあまりある、英国貴族のカントリーハウスが控えている。地図帳で言うところのクレアモント・ハウスだった。 「広いなー。スペインの農園にお邪魔して、『広い家』には慣れたつもりだったけど、やっぱこの広さは異次元だ」 「長年にわたる、支配と、搾取と、暴力の、結果」 「エンリーケ、やっぱ日本語の語彙に偏りがあるよ……」 私は英国人なのでと、茶色いカシミアのコートのイギリス人は英語でふざけた。 ツリーのかざりやスコーン、ミンスパイ、ホットワイン、園芸用品など、手に手に収穫を持って出店をめぐる観光客たちは、庭園と邸宅の持ち主
「桜を見ると、俺、日本人でよかったなあって思うんだよ。順序が逆かもしれないけど」 「左様ですか」 「きっと日本で生まれて、毎年三月か四月に花見をして、なんとなくそれがいい思い出として心に残ってるから、桜を見るたびいい気分になるんだろうな」 「では、今のあなたはいい気分というわけですね」 「うん。まあ桜だけが理由じゃないけど」 ピンク色のちょうちんでかざられた川沿いの街は、山手から少し歩いた、のんびりとした地区にある。毎年さくら祭りという、わりとそのまんまの名称のお祭りがおこなわれていて、ちょうちんのあかりに照らされた夜桜を眺めながら歩けるのだ。こういう催しを見るたび、俺は日本の治安の良好さをひしひしと感じる。時刻は夜の十時になろうとしているが、当たり前のように幼い子ども連れの親もいる。いいところだ。 ピンク色の桜の花が咲いている。 闇の中を流れる舟のように散る。 かすかな甘い匂いが、夜の貴
飾り立てられた象が大通りをゆく。 ペラ・ヘラ。 俺が住むスリランカ、キャンディの名物ともいえる、仏教の祭典である。毎年夏。占星術的に縁起のよい日を選んで催行される、おしゃかさまの歯という、西洋風に言うなら聖遺物をまつるイベントだ。 美し容れ物に入った歯を、きらきらに飾り立てた象の背に載せて、街の中を練り歩く。 一年で一番、この山の街が賑やかになる日だ。 「いつからかなあ。俺、これ毎年観られるものだと思ってたよ」 「そうでしょうか。海外出張も多かったのでは?」 「まあ、それはそうだけど」 家、というかスリランカの社宅のまわりでペラ・ヘラが催行されているんだなあと思うと、その時イタリアにいようがシンガポールにいようが、俺の気持ちが象の歩く街にとんでいったものだった。お隣のヤーパーさんに電話をして、ジローとサブローの様子を尋ねたりすることもよくあったし。いわば魂が分裂しているようなものだ。キャン
2022年6月17日、集英社オレンジ文庫から『宝石商リチャード氏の謎鑑定 少年と螺鈿箪笥』が発売されました! 本作は『宝石商リチャード氏の謎鑑定』シリーズの、第三部の一冊目にあたります。 新章開幕です。 今までのシリーズを読んでくださっていた方にとっては「あれ? いつもと違う」と思う部分がいろいろある『新章』になっていると思うのですが、書いている人はリチャードシリーズのつもりで書いているので、よろしければ引き続きおつきあいをいただけると幸いです。 いろいろな人たちが、いろいろな場所で出会ってきた宝石商シリーズですが、第三部のベースキャンプとなるのは、神奈川県の横浜市です。 ふるくから『エトランジェ』たちが行きかってきた港街での物語、楽しんでいただけるようにこれからもがんばります!
子どもの時、ロンドンの劇場、ロイヤルオペラハウスにあるカフェテリアの上の飾り物が食べたかった。つやつやしたマスカットや、穴のあいた三角形のチーズ、麦わらのカバーにつつまれた胴体の丸いワインの瓶。絵本の中に出てくるごちそうそのままだったから。飾り物ではなく、本当に、食べるために置いてあるのだと思っていた。そしてそれは全部大人の――VIPと呼ばれるような人向けで、だから私には食べさせてもらえないんだと信じていた。そして私は真実、それがいつか食べられる日を夢見ていた。 本当に『大人』になって知ったのは、あれは全部飾り物で、本当に食べるためのものじゃないんだということだった。同時に私は、大人になるということの意味を知った。 夢を見られるのは子どもの間だけで。 夢に大した意味なんてないとわかるのが、大人なのだ。 窮屈なドレスに身を包んで、私はロイヤルオペラハウスのエレベーターに乗った。コヴェントガー
5月になったばかりの今日から数えると、二か月ほど先ですが 6月17日に「宝石商リチャード氏の謎鑑定 少年と螺鈿箪笥(らでんだんす)」の発売が決定いたしました。 宝石商シリーズの第三部こと、最終部です。 ファンブック、番外編にあたる『輝きのかけら』も含めると、既にリチャード氏シリーズは12巻の大ボリュームになっています。途中下車なさった方、あるいは本編10巻で終点になった……と降りた方もいらっしゃると思います。 でも実は、まだ終わっていなかったんです。 そんなに長くは続きません。これまでも「もう少しだけおつきあいください」と言いながら、一部後半、二部と続けさせていただいてきたのですが、今回は本当に「そんなに長くは続きません」。 (と言っても、今のところの12冊のボリュームで、その何分の一の量、続くのか? と具体的に考えると、「そこそこ長い」かもしれませんが……) 中田正義くんと、リチャード氏
信仰に根差したものであれ、そうでないものであれ、『クリスマス』という文化が根差した地域において、十二月二十四日の夜は特別なものだ。俺の上司はそう言った。俺もそれはわかる。 ここ日本では大切な人たちと過ごす日だ。これもわかる。 わからないのはその先だ。 「ですから今日くらいは、あなたもご家族と共にお過ごしになっては?」 「……リチャード、俺なんか、悪いことしたかな」 「何故そのようなことを? 私は一般論として」 「せっかくクリスマス・イブなのに」 「あなたにもそれなりの」 「料理の下準備もかなり頑張った」 「上司としての福利厚生を」 「プレゼントもばっちり隠してあるし」 「隠していることを暴露してどうするのです。ご家族に顔を見せて差し上げては」 「今日のプリンの出来栄えは殿堂入りものだぞ」 「………………」 口をもにゃもにゃさせながらも、リチャードはプリンの話に食いついてこなかった。かなり、
『先日、日本へ、いきまシタ』 「ええっ」 エンリーケ・ワビサビこと、日本語の生徒にしてセッション相手の一言に、下村晴良は驚いた。二人の回線は無料動画通話アプリでつながっている。晴良の所在地はスペインで、エンリーケはイギリスだった。 「なんで日本に」 『所用、いえ、社用、ウム、ナニカ、そのようなモノです』 「所用か社用……」 でも一瞬の滞在だった、とエンリーケは苦笑いし、ひゅっと手を飛行機のように動かしておどけた。お手軽な日本語教室を始めた時に比べると、語学の上達はもとより、彼の表情が随分明るくなっていることに、晴良は気づいていた。 「一瞬でも初めての日本だったんだろ。どうだった?」 『…モウチョット滞在したかったデスネ』 「そりゃあそうだ! あー、日本か。俺も懐かしいよ。コンビニに入ったら何でもある空間って、こっちで考えると夢みたいだ
『ハッピーバースデー・トゥー・ユー』 『ハッピー・バースデー・トゥー・ユー』 『ハッピー・バースデー・ディア・リチャード』 『ハッピー・バースデー・トゥー・ユー』 『おめでとう! 私の可愛いリチャード!』 電話口で、カトリーヌさんが歌っていた。 俺の上司は、頭が痛そうな顔でその電話を受けている。 カトリーヌさんというのは、世界のどこかで元気に暮らしているリチャードのお母さんのことである。俺と会った時、彼女は南フランスのヴィラで歓待してくれた。その後は確かオランダに移り住み、そのあとはイタリアに行って、今はどこにいるのか知らない。クロアチアだっただろうか。 その彼女が、一人息子のリチャードの電話をかけてきた。 世界共通、ハッピーバースデーのうたを歌うために。 『喜んでもらえたかしら?』 『愛して
俺の名前は中田正義。二十代の日本人男性だ。 俺には毎年、気持ちがもやもやする日がある。 気が重い、とまでは言わないものの、もやもやする日が。 ひろみ――俺の母の誕生日だ。 毎年花を送っている。海外での生活が長くなってからは、電話をかけるようにも心掛けている。ひろみ、おめでとう。元気か? 元気で過ごしてくれよ。俺は元気だよ。じゃあ。 それで終わる。 我ながら嫌になるが、これはただのルーティンだ。 ただ、そういうことをやっているだけである。 一般的な一人息子というのは、母親の誕生日をどんな風に祝っているものなのだろう。 こんなことを考えてしまうのは、俺がいわゆる、『一般的な一人息子』ではない自覚があるからだ。しかしそれを言うなら、ひろみだって『一般的な母親』ではないと思う。いい、悪いの話ではない。彼女はシングルマザーだし、過酷なDVサバイバーであるし、俺を大学まで通わせてくれたあ