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May 14,2021

「正義!」 「リチャード! やったな!」 「やりました」 「やったな!」 「ええ、やりましたとも」 俺たちは満面の笑みを浮かべ、ハイタッチをした。高校生の運動部のごとくさわやかな手の平の音が、パーンと部屋の中に響き渡る。そして粉が飛び散る。 ホットケーキの試行回数は、実に十四回を超えていた。 その十四回のうちわけを説明する気はない。名誉の問題である。いろいろあった。とりあえずいろいろあったことだけわかってもらえればいい。粉が散り、牛乳が飛び、砂糖が舞い、火災報知器が発動した。 そして十五回目。 見事に俺の上司、リチャード・ラナシンハ・ドヴルピアン氏は、ホットケーキを焼き上げることに成功したのである。直径十五センチほどの、満月のようなまあるいケーキ。あまり膨らまなかったが、もちもちしておいしそうだ。 実の所リチャードが、苦手な料理に挑むのはこれが初めてではなかった。 だが最初から、俺の助力を

11/8宝石商アニメイベント

November 9,2020

  中野サンプラザで、アニメ「宝石商リチャード氏の謎鑑定」、プレミアムレセプションパーティこと、DVD・Blurayをご購入いただいたお客さま限定のイベントが開催されました。 午後1ピンクサファイアの部、午後2ホワイトサファイアの部とあり、午後1の部は配信で、午後2の部は現場で拝見させていただきました。 二枚目の画像を見ていただいてもわかると思うのですが、参加時の情報管理はもちろん、マスクの着用、手や足の除菌(マットがありました)、入場から退場までの人数制限など、厳戒態勢で行われたイベントです。理由を説明する必要のない状況が続いていることがつらい一方、こうした取り組みをしてくださるスタッフの方々への感謝の想いもつのります。本当にありがとうございます。 こういうイベント、とても久しぶりでした。 そう感じているのは私だけではないようで、会場近辺でも、そういうお声を聴いたように思います

いつかの6月28日

June 28,2020

「では心を込めて。ハァッピ、バァースデーイ」 「うわもうやめて」 「トゥー・ユーウ」 「その余韻もやめて」 「ハァッピー、バースデイ」 「マリリン・モンローの物まねもやめて」 「トゥー・ユー」 「好きじゃない」 「ハァッピバァ――……この渾身のファルセットちゃんと聴いて。バァ――!」 「無駄にうまい」 「アァ――!」 「どこまで伸ばすの」 「アァ――スデ――エィェィエ――」 「本当に無駄にうまいんだから」 「ェエ――イ、ディーア」 「あー、あー、あー! 聞こえない!」 「………………」 「あー!! あー!! わー!! ……終わった?」 「ジェ」 「あーっ! 聞こえない聞こえない! 何も聞こえなーい!」 「じゃあそこは省略して、ハアッピバースデーイ、トゥー・ユー。おめでとう。終わり」 「ありがとう。ひゅう、やっと終わった…………」 「苦行僧みたいな顔するなら歌わせなきゃいいのに」 「そこは褒

こだわりラーメン中田屋列伝 ―疾風怒濤プリン編―

May 14,2020

 俺は中田正義。どこにでもいる平凡なラーメン屋『なかたや』の店主だ。とある田舎町の某所に店を構えている。なかたやのラーメンはだしが決め手で、何と言ってもおすすめはしょうゆ。最近はとんこつも人気だ。右隣にはイングリッシュ・パブ『ジェフ&ハリー』、左隣にはスリランカ料理店『ランプの魔神』があるので、会社の昼休みの時間帯には混雑するが、顔ぶれの八割は常連さんだ。  常連さんたちは、いつも俺のラーメンをおいしいと言って食べてくれる。  それはとても嬉しい。  でも、できることなら、ひさしぶりに新しいお客さんに出会いたい。  ぬるまゆの中でたゆたう俺を、厳しく窘めてくれるような人でもいい。  わがままかもしれないが、そんな風に思っていた時。  まさにその時だった。  なかたやの赤い暖簾を、俺の見知らぬ人影がくぐってきたのは。 「いらっしゃい!」 「お邪魔いたします」  しゅっとしたシルエットの男性だ

宝石商リチャード氏の謎鑑定 邂逅の珊瑚

August 21,2019

2019年8月21日 宝石商シリーズ第9巻 「宝石商リチャード氏の謎鑑定 邂逅の珊瑚(サーンウー)」が発売されました。  おかげさまで9冊目です。  ここにやってくるまでに、お力添えをくださった(というもおこがましい、ターボエンジンをとりつけてくださった)皆さまに、心から感謝します……! サイン本を置いてくださった書店さん(完売しているそうです)、特設コーナーを作ってくださっている書店さん、本当にありがとうございます。優勝旗みたいな垂れ幕や、鉱物標本みたいな箱にはいった本、心づくしのポップなどなど、画像を拝見するだけでワクワクします!!  雪広うたこ先生の絵は、先生曰く『いつもとはちょっと雰囲気が違う』そうですが、美しいリチャード氏と正義くんの二人の姿はいつもと同じく、でもそこに新たな光が宿っているように見えます。  雪広先生はいつも、できたてほやほたの小説を読み込んで、素晴らしい絵をつく

新時代

May 14,2019

 美しさにも種類があるという。  宝石の話に限れば、簡単なことだ。石の世界は切って分けられる。色で、硬度で、結晶の形で、産出地で、誰かの好みで分類できる。鉱物の分類の視線でわければ、エメラルドとアクアマリンが、ルビーとサファイアが仲間同士になったりする。  ではこれは? 今俺が目の前にしている、これはどうだろう。  どういう種類の美しさになるのだろう。 「これは……」 「『これは』?」 「なんだか……うまく言えないんですけど……あ、そうだ」  青の時代みたいだと。  俺が口にすると、彼はすぼめた唇に手を当てて笑った。いたずらが成功した子どもみたいな顔である。お行儀が悪いと、俺のバイト先の上司がいたら言うだろう。だか今日この部屋、俺が陣取っているどこかのホテルの上のほうにあるだだっ広い部屋には、俺の他にもう一人しかいない。  ソファの上に寝っ転がって、テーブルの上の液晶端末をフリックしていた

『宝石商リチャード氏』8巻発売

December 24,2018

2018年12月18日 集英社オレンジ文庫から、『宝石商リチャード氏の謎鑑定 夏の庭と黄金(ドール)の愛』が発売されました。 すてきなカバーは、雪広うたこ先生の作品です。 夜の山を背に寝そべる二人、山の上をとぶ輝く何か、そして散らばる石の球体たちが、なんだかこの12月にぴったりな聖なる雰囲気をまとっていて「12月発売に『夏の庭』って寒々しいんじゃないかな、大丈夫かな……」という私の心配をふかふかの毛皮のコートのように包み込みついでにカイロと火鉢とあったかいお芋までつけてくださったようにパーフェクトケアしてくださいました。雪広先生、本当にほんとうにいつもありがとうございます。一緒に歩いた某所で、店外につるされた派手な上着をみかけ「あの服、ジェフに着せたいですね……(辻村)」とかトンチキなことを言っていた日がもう懐かしく思われます。ジェフ、雪広先生が「そうですね!」と言わなかったことに君は感謝

ハーキマーダイヤモンドの夢

December 23,2018

 四月八日。今日は特別な日だ。なんと、なんと、俺の大好きな谷本晶子さんの誕生日である。それほど親密ではない相手から贈り物をしてもあまり違和感のないスペシャルな日だ。去年の俺が彼女の誕生日を知った時には既に五月になっていた。時すでに遅し。しかし今年こそは何か渡したいと思って、かねてから準備していた今日この日である。具体的に言うと去年の冬ごろから準備していた。 「たっ、た、たた谷本さん! よかったら、これを、うけとって、ほしいんだどうぞこれ! 誕生日おめでとう!」 「わあぁ、正義くんありがとう」  小学生の調理実習のにんじんの如くブツ切りにされた俺の声は、あまり気にせず、谷本さんは中央図書館前のベンチで、俺の贈り物を受け取ってくれた。キャラメル箱のような小さな紙箱で、中には透明なニス紙で包まれた小さなものが入っている。中身を確認した彼女が、わっと小さく声をあげた。嬉しそうな声だ。もう俺の方が嬉

ムーンケーキの季節

August 24,2018

「中秋なのにこの眺め、新鮮ですね!」  あははは、と笑いながら、快活な女性のお客さまはエトランジェを後にした。広東語、つまり香港の言葉と日本語が一対一くらいの割合で入り混じる会話は、俺にはよくわからず、ほぼリチャードが一対一で接客にむかっていたが、時々俺の方を見てニコッと笑ってくださる、歯切れのよいお客さまだった。ハスキーボイスで、ワンレングスのアッシュブラウンの髪はつやつや、体はモデルさんのようにすらりと細長い。  彼女が見ていたのは、ムーンストーンのジュエリーだった。  ルース、つまりまだ身に着けられる形にはなっていない裸石を扱うことが比較的多いエトランジェには珍しく、リングやブローチ、ネックレスの形になった作品を、彼女は一つ一つ吟味して、最終的にブローチをお買い上げになっていった。あらかじめ彼女が、そういうものを見たいと、リチャードにオーダーしていたらしい。  青い燐光を放つ、ミルキ

宝石商リチャード氏の謎鑑定 紅宝石の女王と裏切りの海

June 20,2018

2018年6月21日、集英社オレンジ文庫から『宝石商リチャード氏の謎鑑定 紅宝石の女王と裏切りの海』が発売されます。 宝石商シリーズ、7冊目です。 本作から第二部の開始となります。 それほど長く続く予定はないのですが、もうしばらく、彼らのお話にお付き合いいただけたら、とても嬉しく光栄に思います。 挿画は今まで通り、雪広うたこ先生です。 雪広先生、ジャンルを問わず八面六臂の大活躍中にも関わらず、いつものように素晴らしい表紙を描いてくださってありがとうございます! 今回の表紙の美しさもまた、神々しく筆舌に尽くしがたいです。 トランプのモチーフ、見え隠れする宝石、そして同じ方向を見る二人。 眺めていると、まるで魔法の鏡を目の前にしたように、いろいろなこと(モチーフの意味や、彼らの来し方行く末など)を考えてしまいます。 画集が出たらいいのになと、一ファンとして祈っております。 さて、 6巻までお付